10 【 主】はモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。
11 彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、【主】が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。
12 あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。
13 それに手を触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、刺し殺される。獣でも、人でも、生かしておいてはならない。しかし雄羊の角が長く鳴り響くとき、彼らは山に登って来なければならない。」
14 それでモーセは山から民のところに降りて来た。そして、民を聖別し、彼らに自分たちの着物を洗わせた。
15 モーセは民に言った。「三日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない。」
「【主】はモーセに仰せられた。『あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、【主】が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである』」(10 〜 11 節)。(1)イスラエルの民は、2 日間かけて自らをきよめる。具体的には、衣服を洗うということである(体を洗うことは文脈上暗示されている)。【主】はイスラエルの民に、内面のきよめを教えるために、外側のきよめを命じられたのである。(2)さらに、その期間は男女関係も避けるように命じられた(15 節)。(3)3 日目には、【主】がシナイ山に降りて来られる。「民全体の目の前で」とは、民全体がシャカイナグローリーを目撃するということである。
「あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。それに手を触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、刺し殺される。獣でも、人でも、生かしておいてはならない」(12 〜 13 節)。(1)シナイ山の周囲に、境を設ける必要性が出て来た。なぜなら、シャカイナグローリーのゆえに、シナイ山が聖なる山となったからである。聖と俗とは、この境によって区切られる。(2)人間も動物も、その境を越えることは許されない。汚れたものが聖なる地に足を踏み入れることは、そのまま死を意味した。(3)角笛の音が長く鳴り響く時、イスラエルの民は山に登らねばならない。
神の栄光に近づこうとするなら、神が指定された方法によらなければならない。この箇所では、2 日間かけて身をきよめること、角笛の音が長く鳴り響くのを待って山に登ること、などがそれである。新約時代に生きる私たちは、別の方法で神に近づく。(1)私たちは、主イエスの血潮によって罪の赦しときよめを受けた。(2)今私たちは、イエス・キリストという仲介者を通して父なる神に近づく。(3)イエス以外の方法を考えることは、「境を越える」ことであり、神の裁きを身に招くことになる。「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』」(ヨハ14:6)。主イエスだけが、罪と死の問題から私たちを解放してくださる。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。主イエスが道であり、真理であり、いのちであることを認めます。今、主イエスを通して栄光の御座に近づきます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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サムエル記第二1~2、使徒の働き4
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