8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
「さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った」。(1)イスラエルの民は、依然としてレフィディムにいる。この地を移動していた時に、アマレクからの攻撃に遭った。(2)アマレクは、エサウの孫である(創36:11 〜12)。エサウ→エリファズ→アマレクと続く。エサウの子孫であるアマレク人は、エドムの地を本拠として遊牧生活を送っていた。どうやら、定住している民を襲い、略奪によって生計を立てていたようである。
彼らがイスラエルの民を攻撃した方法は、申命記25:17 〜 18 に詳しく出ている。「・・・彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒したのである」。(1)イスラエルの民を攻撃するのは、神を恐れることのない行為である。アマレク人は、神がイスラエルの民のためにエジプトに対して行ったことや、神が葦の海を分けてイスラエルの民を渡らせたことなどを無視している。(2)彼らは、イスラエルから攻撃を受けたわけではないのに、先手を取って卑劣な方法で攻撃を仕かけて来た。最後部にいる落後者たちから切り倒して行ったのである。(3)アマレク人は、イスラエルの民がエジプトから持って来た富を略奪しようとした。イスラエルの民にとって、これは自衛の戦いである。
富の略奪以外に考えられる攻撃の理由は、両者の間にあった民族的葛藤である。この葛藤は、「ヤコブとエサウの葛藤」(創27:36)から始まった。兄のエサウはこう叫んでいる。「彼の名がヤコブというのも、このためか。二度までも私を押しのけてしまって。私の長子の権利を奪い取り、今また、私の祝福を奪い取ってしまった」。この出来事以降、エサウの子孫であるエドム人(アマレク人も含む)は、イスラエルの民に敵対するようになった。歴史上の事例を挙げると、エドム人は、南王国ユダの滅亡(前586 年)を喜んだ(エゼ35:15、36:5)。エドムをギリシア語に音訳するとイドマヤとなるが、幼子イエスを殺そうとしたヘロデ大王は、イドマヤ人である。この事件は、エサウの子孫であるヘロデが、ヤコブの子孫であるイエスを殺そうとしたものである。
民族的な怨念によってイスラエルの民を攻撃することは、神を恐れることのない行為で、実に愚かなことである。私たちに関しては、神の御心がなることを求めよう。神を恐れることは、知識と知恵の始まりである。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。この身にあなたの御心が成りますように、お願いします。きょうも義の道を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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サムエル記第一4~5、ルカの福音書18
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