5 【主】はモーセに仰せられた。「民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け。
6 さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのとおりにした。
【主】は、民の不信仰に基づく要求に応じてくださった。【主】はモーセに、「民の前を通り、イスラエルの長老たちを幾人か連れ、あなたがナイルを打ったあの杖を手に取って出て行け」と言われた。(1)「民の前を通り」とは、「民があなたを打つことはないから、堂々と出て行け」という意味である。この言葉によって、モーセの不安が取り除かれた。(2)「イスラエルの長老たちを幾人か連れ」とは、「証人を連れて行け」という意味である。確かに、奇跡を目撃する証人がいなければ、イスラエルの民はその奇跡を否定することだろう。(3)「ナイルの水を打ったあの杖を手に取って出て行け」とは、民に希望を与える言葉である。奇跡の杖を見たなら、民は希望を抱くようになるはずである。
さらに【主】は言われた。「さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう」。(1)【主】が主体的に奇跡にかかわってくださる。【主】がモーセの前に立たれるとは、この文脈では、シャカイナグローリーがホレブの岩の特定の場所に留まるということである。(2)主は、モーセが杖でその岩を打つと、岩から水が出ると仰せられた。岩とは岩盤のことである。(3)民は、その岩から出た水を飲むようになる。
モーセがそのとおりに行うと、岩から水が出た。この奇跡を証人たちが見ていた。詩篇78:15 〜 16 は、その情景をより詳しく描いている。「荒野では岩を割り、深い水からのように豊かに飲ませられた。また、岩から数々の流れを出し、水を川のように流された」。岩から出た水は数々の流れとなり、ついに川のようになった。その水は、百数十万人の人々と無数の家畜を養った。
岩(石)という言葉が象徴的に用いられた場合、それは常にメシアを指す。①創世記49:24 の「イスラエルの岩なる牧者」、②申命記32:15 の「自分の救いの岩」、③ 2 サムエル23:2 〜 3 の「イスラエルの岩」、④詩篇18:31 の「私たちの神を除いて、だれが岩であろうか」、⑤マタイ16:16 〜 18 の「この岩」、⑥ 1 コリント10:4 の「その岩とはキリストです」など。人生の旅路において経験する渇きは、【主】によってのみ癒される。「・・・わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」(ヨハ4:13 〜 14)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私のたましいは渇いています。主イエスがサマリヤの女に語られた約束が、私の上に実現しますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
士師記21、サムエル記第一1、ルカの福音書16
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら