22 しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。【主】の言われたとおりである。
23 パロは身を返して自分の家に入り、これに心を留めなかった。
24 全エジプトは飲み水を求めて、ナイルのあたりを掘った。彼らはナイルの水を飲むことができなかったからである。
25 【主】がナイルを打たれてから七日が満ちた。
(1)ナイルの水が血に変わったのを見て、エジプトの呪法師たちも同じことをした。彼らは、真水を見つけて、それを血に変えたのである。これは奇妙な行為である。呪法師たちの行為は、すでに苦しんでいるエジプト人にとって、何の助けにもならなかった。彼らが為すべきことは、水を血に変えることではなく、血を真水に変えることである。(2)パロの心は頑なになった。彼は自分の家に入って行った。これは、パロの身に起こった「引きこもり現象」である。アダムとエバも、罪を犯した時に同じような行動を取っている。「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」(創3:8)。神に背を向けるなら、人は隠れ場に身を潜めることになる。その逆に、神の御顔を慕い求めるなら、心に喜びと平安が満ちる。「幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。【主】よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます」(詩89:15)。「【主】とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ」(詩105:4)。(3)パロは、この災いを心に留めなかった。国家の指導者として、実に無責任な態度を取ったのである。パロ自身は、一般庶民のように飲み水に困るようなことはなかったはずだが、エジプト人は、飲み水を求めて井戸を掘った。その状態が7 日間も続いた。(4)紀元1世紀のユダヤ人哲学者フィロンは、多くのエジプト人が死んだと書いている。生き延びた者たちは、野菜や果物から水分を摂取することができたのであろう。また、井戸や泉から真水を飲んだ者もいたのであろう。
私たちの神は、パロのようなお方ではない。また、地上の支配者たちのようでもない。神は、苦しみの中から【主】に叫ぶ者には、助けの手を差し伸べてくださる。「私は苦しみの中に【主】を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた」(詩18:6)。苦難の中に置かれた時は、助けを求めて神に叫ぼうではないか。【主】のようなお方は、他にはいない。
きょうの祈り
【主】なる神よ。苦しみの中からあなたに叫び求める時、あなたはお答えくださいます。あなたのような神は、ほかにはいません。このことを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
民数記11~12、マタイの福音書8
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