24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。【主】はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。
25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」
26 そこで、主はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。
エジプトへの途上、主はモーセに現れ、彼を殺そうとされた。それを見た妻のチッポラは、急いで自分の息子(弟のエリエゼル)に割礼を施し、包皮をモーセの両足につけた。「両足」とは、男性の生殖器の婉曲語であろう。その結果、モーセは死を免れた。神はなぜ、出エジプトのリーダーとして立てたモーセを殺そうとされたのだろうか。
この事件が意味していることは、明白である。モーセは割礼を軽視していたが、神はそれを重視しておられた。(1)割礼は、アブラハム契約のしるしである(創17:9 ~14)。イスラエルのすべての男子は、生まれて8 日目に割礼を受けた。(2)しかしモーセは、2 番目の息子に割礼を施していなかったようである。その理由は、妻のチッポラが割礼を嫌悪したからだと思われる(彼女が「血の花婿」という言葉を使っていることから、そのように推察される)。(3)神は、アブラハム契約の条項に違反しているモーセを殺そうとされた。エジプトを脱出してカナンの地に向かうという約束は、アブラハム契約を土台として与えられた。もしモーセがアブラハム契約に違反したままでエジプトに下るなら、彼には出エジプトのリーダーとしての資格がないということになる。(4)チッポラは、機転を利かせてモーセを救ったが、彼女が次に聖書に登場するのは、出エジプト18:2 になってからである。彼女と2 人の息子はエジプトには行かず、ミデヤンに送り返された。割礼を嫌ったチッポラは、神がエジプトで行われた大いなる奇跡の目撃者にはなれなかった。
この出来事は、私たちに何を教えているのだろうか。(1)人は、神が用意された方法でしか救われない。イエス・キリストは、アブラハム契約の成就としてこの地上に現れ、十字架上で自らのいのちを捧げることによって救いの道を開いてくださった。十字架以外には、人が救われる方法はない。(2)主イエスを救い主として信じることは、神と新しい契約を結ぶことである。その時、私たちの心に聖霊による割礼が施される。新約時代には、肉の割礼ではなく、心に割礼を受けているかどうかが重要である(ガラ6:14 ~15)。
私たちは、決して傲慢になってはならない。神は、80 年間かけて育てたモーセでさえも殺そうとされた。神に用いていただけるのは、恵みであり、特権である。その場合、神が用意された方法で神に仕えることが大切である。神の約束は必ず成就する。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は肉の割礼を受けてはいませんが、聖霊によって心の割礼を受けました。新しい創造が私の身に起こったことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジプト記35 ~ 36、詩篇13~14
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