11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」
12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」
ここで、文脈を確認してみる。神は、燃える柴の中からモーセに語りかけた。神の計画は、イスラエルの民をエジプトから解放し、約束の地に導くことである。出エジプト3:8 には「下って来た」という動詞がある。これは、神が歴史に介入したことを示す重要な動詞である。聖書の神は、歴史に介入されるお方である(ヨハ1:14 は、神の御子が有限な時間の中に入って来られたことを教えている)。さて、モーセは神からの召命を受けた。しかし彼は、4 つの言い訳を並べて、神の任命を断ろうとする。モーセの言い訳を1 つずつ取り上げてみよう。
最初の言い訳は、「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは」というものである。以下のようなことが、モーセの頭の中を巡ったことであろう。(1)昔はいざ知らず、今は無名の羊飼いである。(2)パロは最高の権威を持ち、強力な軍隊を率いている。(3)杖1 つしかない私に、何が出来るというのか。(4)かつては自分の名はパロに知られていたが、それから40 年も経っている。(5)イスラエル人は40 年前に自分を拒否したことがある。(6)イスラエル人は数が多く、奴隷で、しかも武器を持っていない。その上、頑固である。
神の回答は、「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。・・・あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない」であった。(1)神がともにいるなら、資格があるかどうかは問題ではなくなる。(2)「これがあなたのためのしるしである」とあるが、「神がともにいる」ということが「しるし」なのではない。ここでの「しるし」とは、「歴史的しるし」である。①それは、実現してから分かる「しるし」である。②後から振り返って、神が介入されたことが分かる「しるし」である。③シナイ山は、エジプトからカナンの地に向かう途上にあるのではない。にもかかわらず、イスラエルの民はシナイ山で神を礼拝するようになる。それが「歴史的しるし」である(イザ7:14 の預言も、歴史的しるしである)。
目の前で起こる癒しや不思議だけが「しるし」なのではない。神の存在を証明する最大の「しるし」は、歴史である。特に、イスラエルの歴史の中に神の存在の証明がある。過去に起こったことについて学ぶなら、まだ起こっていないことも、必ず起こると確信出来るようになる。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。あなたは歴史の中にご自身を啓示されました。まだ成就していないことも、すべて起こることを確信します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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