6 そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ。
7 イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。
「そしてヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ」。6 節と7 節の間には、かなりの時間の経過がある。(1)ヨセフが死んでから、イスラエルの民がその地に満ちるまでの時間は、恐らく100 年前後であろう。多産は、神の祝福の現れである。(2)8 節に入ると、「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」となるが、これは、エジプトを支配する王朝が変わったことを示している。エジプトの支配者は、親イスラエルの人物から反イスラエルの人物に変わったのである。その状態になるまでに、さらに相当な時間が経過したはずである。
「イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた」。(1)エジプトにおいて、イスラエル人はおびただしく増えた。これは、エジプトにおいてもアブラハムへの約束は有効であったことを示している(創15:5)。アブラハムの子孫は星の数ほど増えるのである。(2)イスラエルの民の上に神の守りがあった。彼らは400 年の間に、70人からおよそ200 万人に膨れ上がった。「すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった」(民1:46)。男の数だけで60 万人を越えたのであるから、女と子どもを加えると200 万人以上になったはずである。(3)イスラエルの民は、エジプトの地において守られた。しかし、それだけではない。バビロン捕囚の時にも、神の守りがあった。さらに、紀元70 年以降の世界離散に際しても、神の守りがあった。神の守りを抜きにしては、ユダヤ人が民族として生存し続けた理由を説明することは出来ない。神は、アブラハムに与えた約束を必ず成就される。
人生には、不思議なこと、不可解なことがたくさんある。その理由は、神だけがご存じである。一つ言えるのは、神は私たちのことを決して忘れてはおられないということである。出エジプト記の神は、覚えていて、行動する神である。試練の中にあっても、神の臨在が私たちから去ることはない。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。苦難の時、私はあなたの内に隠れ場を見いだします。どうか私の岩、私の盾、私の砦となってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
創世記 41~42、マルコの福音書 15
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