52 また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
53 そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。
54 百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。
イエスの死とともに、いくつかの現象(しるし)が連続して起こった。前回は、神殿の幕が上から下に裂けたことを学んだ。今回はその続きである。(1)イエスの死とともに大地震が起こった。「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた」。(2)次に、墓が開いて、死んでいた聖徒たちが生き返った。実に不思議な現象だが、これは、イエスの死が多くのいのちを作り出したということである。(3)しかし、イエスご自身が甦るまでは、それらの生き返った人々が墓から出て町の中に入るということはなかった。彼らは、イエスの甦りの後にエルサレムに入って来たのである。それを目撃した人たちは、どれほど驚いたことであろうか。
この現象をどう理解すればよいのだろうか。(1)これは、旧約時代に死んだ聖徒たちが永遠のいのちに甦ったということではない。なぜなら、まずイエスご自身が永遠のいのちに甦らなければ、だれ一人、永遠のいのちへの甦りを経験することはないからである。(2)ところが、この人々はイエスが甦る前に肉体的に生き返っている。つまり、この「生き返り」は、ラザロが体験したものと同質のものだということである。ラザロは生き返ったが、再び死んだ。彼の「生き返り」は、厳密な意味では「蘇生」と言うべきものである。(3)エルサレムの墓に葬られていた人々は、生き返った。しかし、彼らもまた、やがて肉体的な死を経験するようになる。それが、ここに記された「生き返り」の意味である。その後彼らがどうなったかについては、聖書になんの記述もないので、それ以上の詮索は無用である。
私たちが経験する甦りは、そのようなものではない。イエスにあって死んだ人の肉体は、やがて永遠のいのちに甦る。それが起こるのは、携挙の時である(1テサ4 章参照)。携挙がいつ起こるかは分からないが、いつでも起こり得る可能性がある。その時、死んだ者は栄光の体に甦り、生きている者はそのまま栄光の体に変えられ、ともに空中に挙げられる。キリストの十字架と復活は、私たちに革命的な希望をもたらしてくれた。私たちにとっては、死の問題はすでに解決した。きょうもまた、その希望を確認しながら、大胆にキリストの証人としての歩みを続けよう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は、イエス・キリストの十字架の死、埋葬、復活をすべて信じます。希望に向かって歩む者とされていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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