51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
イエスが息を引き取るのと同時に、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。これには、重要な神学的意味がある。(1)この幕は、神殿内の聖所と至聖所を仕切るもので、縦約18m、横約9m もあった。厚さは、人間の手のひらほどもあったと言われている。人間の力でそれを引き裂くのは不可能である。(2)この幕は上から下に裂けた。つまり、神ご自身の御手がそれを裂いたということである。
ヘブル人への手紙は、その意味を詳細に解説している。(1)旧約時代、つまりモーセの律法が機能していた時代には、神の臨在(シャカイナ・グローリー)の前に出ることができたのは、イスラエル人の中の大祭司一人だけであった。その大祭司でさえも、年に1 度、贖罪の日に至聖所に入り、神の臨在に触れることが許されただけであった。(2)しかし、キリストの死によって、今や信じるすべての人にそれが許されるようになった。つまり、新約時代の信者は、イエス・キリストという幕屋を通って父なる神に近づくことができるようになったのである。「・・・私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです」(ヘブ10:19 ~20)
この時代に書かれたラビ文書には、非常に興味深い記録が残されている。ラビ文書の中に残された「神殿に関する伝統」を調査すると、ある共通した言葉が頻繁に出て来るのが分かる。それは、「神殿が破壊される40 年前」という言葉である。エルサレムの神殿は70 年に破壊されたので、その40 年前というと、紀元30 年、つまりイエスが十字架につけられた年に当たる。ユダヤ教のラビたちは、この年、不思議な事が多く起こったと記している。その一つが、神殿の幕が裂けたという出来事である。ちなみに、「死者のよみがえり」も「しるし」の一つであるが、これについては、次回取り上げる。
キリストの死に伴うさまざまな「しるし」を目撃した結果、百人隊長とその部下たちが信仰に導かれた。彼らは、54 節で「この方(イエス)はまことに神の子であった」と告白している。これは、異邦人による信仰告白で、私たちもまた、この百人隊長の信仰告白につながる者である。イエスを救い主と信じる者は、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができる。神の御座に出て祈ることができるのは、信者の特権である。
きょうの祈り
天の父よ。今、主イエスを通して天にある栄光の御座に近づきます。賛美、感謝、礼拝をあなたの御前におささげします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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創世記 21~22、マルコの福音書 7
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