13 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国をさえぎっているのです。自分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせません。
14 〔 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見えのために長い祈りをしています。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けます。〕
15 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは改宗者をひとりつくるのに、海と陸とを飛び回り、改宗者ができると、彼を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのです。
16 わざわいだ。目の見えぬ手引きども。おまえたちは言う。『だれでも、神殿をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、神殿の黄金をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
17 愚かで、目の見えぬ者たち。黄金と、黄金を聖いものにする神殿と、どちらがたいせつなのか。
18 また、言う。『だれでも、祭壇をさして誓ったのなら、何でもない。しかし、祭壇の上の供え物をさして誓ったら、その誓いを果たさなければならない。』
19 目の見えぬ者たち。供え物と、その供え物を聖いものにする祭壇と、どちらがたいせつなのか。
20 だから、祭壇をさして誓う者は、祭壇をも、その上のすべての物をもさして誓っているのです。
21 また、神殿をさして誓う者は、神殿をも、その中に住まわれる方をもさして誓っているのです。
22 天をさして誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方をさして誓うのです。
これまでイエスは、群衆と弟子たちに向かって語っていたが、この箇所では、パリサイ人たちに直接語りかけている。イエスは、パリサイ人たちが持っていた特徴として、「7 つのわざわい」を指摘している。第1 と第7 のわざわいは同じものなので、文学的手法としては、7 つのわざわいが何度も循環していくような形になっている。これから3 回に分けて、7 つのわざわいについて学んでいく。今回は、最初の3 つを取り上げる。他人事としてではなく、自分に向けて語られたものとして読んでみよう。
(1)まず指摘されるのが、「メシアの拒否」というパリサイ派の最大の問題点である。「人々から天の御国をさえぎっている」とは、イエスがメシアであることを認めず、自分だけでなく他の人をも天の御国から締め出していることを指す。ユダヤ人の間では、今もこの状態が続いている。もしイエスがメシアであることを伝えないなら、人々は滅びていく。指導者の責任は大きいのである。これを私たちに適用してみよう。もし私たちがイエスを伝えないなら、私たちはわざわいである。また、イエスを信じている者が他の人の前につまずきの石を置くなら、それもまたわざわいである。
(2)第2 のわざわいは、「誤った熱心さ」である。パリサイ人たちは、異邦人をパリサイ的ユダヤ教に改宗させるためにあちこち動き回っていた。そして、改宗者になった者は本来のパリサイ人以上に律法主義に熱中するようになった。これが、「ゲヘナの子」(パリサイ人)が「より悪いゲヘナの子」(改宗者)を作るということの意味である。今日でも、律法主義的信仰は、律法主義者しか生み出すことができない。
(3)第3 のわざわいとは、「優先順位の逆転」である。パリサイ派の教えでは、神殿よりも神殿の中にある黄金のほうが尊かった。また、祭壇よりも祭壇の上の供え物のほうが大切だった。これはおかしなことである。黄金を聖いものにするのは神殿であり、供え物を聖いものにするのは祭壇である。その逆ではない。
以上の警告の内容は、不信仰、肉のわざ、世的価値観、という3 つの問題に要約できる。私たちは、第一のものを第一にしているだろうか。神は、私たちの心をご覧になる。今、真実な姿で神に近づき、礼拝を捧げようではないか。
きょうの祈り
天の父よ。本質的なものと枝葉とを見分けることができますように、どうか私に霊的な洞察力を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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