17 さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
18 「 さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
当時イエスは、ヨルダン川の東(ペレヤ地方)におられた。17 節には、「さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された」とある。マルコ10:32 は、その状況をより詳細に記録している。「さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた」
(1)イエスはペレヤを去り、ヨルダン川を渡ってエルサレムに上ろうとされた。ペレヤは、サンヘドリン(ユダヤ議会)の権威が及ばない地域なので、そこに滞在している限りは、逮捕される危険性はない。しかし、ヨルダン川を渡ってユダヤに入った途端に、サンヘドリンから派遣された者たちが待っていて、逮捕される可能性がある。(2)弟子たちが驚いたり、恐れを覚えたりしている理由は、逮捕されることが分かっていながら、イエスがヨルダン川を渡ろうとしていたからである。(3)イエスは十字架を目指してエルサレムに上ろうとしておられた。先頭を歩くイエスと後について行く弟子たちとの間には、かなりの精神的距離があった。そこでイエスは、12 弟子だけを呼んで、受難の予告をされるのである。
ここは、3 度目の受難の予告となっている。過去2 度の予告よりも、さらに詳細な内容が予告される。その理由は、過越の祭りが目前に迫っていたからである。イエスが予告した受難のプログラムとは、次のようなものである。(1)イエスはエルサレムに上る。メシアがエルサレム以外で死ぬことはありえない。(2)イエスは祭司長、律法学者たちに引き渡される。(3)彼らはイエスに死刑を宣告する。(4)イエスはあざけりやむち打ちを受け、異邦人の手で十字架につけられる。このことが過越の祭りの間に起こる。(5)しかし、イエスは3 日目に甦る。(6)以上のことはすべて、聖書の預言どおりである。
弟子たちは、受難の予告を全く理解できなかった。逆に彼らは、イエスのエルサレム入城によって、天の御国が誕生すると思っていた。彼らの誤解がどれほど深刻なものであったかは、次に登場するゼベダイの子たちの母の言動によっても知ることができる。私たちの心は、主イエスの心から遠く離れていないだろうか。主イエスとともに十字架の道を歩むとはどういうことか、黙想してみよう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか主イエスの心を私の心とすることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ダニエル書9~10、ペテロの手紙 第一5
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