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マタイの福音書19:23 ~ 26

23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。

24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだがはりあなを通るほうがもっとやさしい。」

25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」

26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

金持ちの救い

らくだと針の穴

前回の続きである。富める若者が去って行くのを見てイエスは、「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」なげかれた。(1)「らくだが針の穴を通る」という表現は、ユダヤ教のラビたちにはよく知られていたものである。イエスは、当時よく用いられていた表現を使って、金持ちの救いがいかに困難なものであるかを弟子たちに教えた。(2)エルサレムに「針の穴」と呼ばれる小さな門があったという説明がなされることがあるが、これには考古学的証拠がない。「針の穴」の「針」という言葉は、裁縫さいほうの時に使う針を意味している。興味深いことに、医者であったルカは、外科手術用の「針」という言葉を使っている。「らくだが針の穴を通る」という表現は、誇張法こちょうほうである。(3)誤解してならないのは、富が悪いと教えられているのではないということである。富そのものが問題なのではなく、それをどのように用いるかが問題なのである。(4)富める人は、神よりも富そのものに信頼を置くようになる。そこに、富の危険性がある。

富める人の問題点

再度確認するが、当時のパリサイ派の神学では、富は神からの祝福のしるしであると考えられていた。つまり、金持ちとは、神の祝福を受けている人のことである。「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」というイエスの言葉を聞いた弟子たちは、大変驚いて、「それでは、だれが救われることができるのでしょう」と応答した。この発言から、当時「富は神からの祝福を受けているしるしである」という教えが広範囲に広がっていたことが分かる。12使徒たちも、その教えの影響を受けていたのである(ちなみに、新約聖書では、富は神からの祝福のしるしであるという教えはない)。
いったいだれが救われるのだろうかという弟子たちの疑問に、イエスは、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」と答え、神にあってはすべてが可能であることを再確認された。いかに裕福な人でも、神を必要としている。神は、金持ちも貧しい人も、ともに救うことができる。大切なのは、神の招きに応答する信仰である。自分が貧しい者であることを告白し、キリストにあって用意されている豊かさを受け取ろうではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私の心から、あらゆる偶像礼拝を取り除いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ダニエル書3~4、ペテロの手紙 第一4