22 そのとき、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。
23 群衆はみな驚いて言った。「この人は、ダビデの子なのだろうか。」
24 これを聞いたパリサイ人は言った。「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」
25 イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。
26 もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。
27 また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。
28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
29 強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。
マタイの福音書の中でも非常に重要な箇所にやって来た。この箇所は、ヘブル的視点から読む必要がある。悪霊の追い出しに関して、パリサイ人たちは次のような理解を持っていた。①悪霊の追い出しは、まず悪霊の名を聞き出し、次にその名を呼んで行う。②口のきけない人の場合は、悪霊の名を聞き出せないので、この方法は役に立たない。③口の聞けない人から悪霊を追い出せるのは、メシアだけである。以上の背景を理解した上でこの箇所を読むと、なぜ群集がそんなに驚いたのかが分かってくる。
(1)イエスは、メシアにしか行うことができない悪霊の追い出しを行われた。(2)それを見た群集は、「この人は、ダビデの子なのだろうか」と反応した。「ダビデの子」とは、メシアの称号である。群集は、自分たちだけでは結論を出すことができないので、霊的指導者であるパリサイ人たちの指導を仰いだ。彼らはリーダーコンプレックスに陥っていたのだ。
パリサイ人たちには、2 つの選択肢しかなかった。①イエスこそメシアだと宣言すること。②または、イエスはメシアではないと宣言すること。もし②を選択するなら、その理由を述べなければならない。彼らが考えた理由は、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」であった。つまり、イエスは悪霊につかれている、しかも、並みの悪霊ではなく「悪霊どものかしらベルゼブル」につかれているというのである。これが、イエスのメシア性を拒否する公式の理由となった。ユダヤ教の経典であるタルムードには、「イエスは魔術によって奇跡を行い、人々を惑わせた」という記述がある。注目すべきは、イエスが奇跡を行ったという事実は否定していない点である。イエスの奇跡については、あまりにも多くの証言や証明があるので、それを否定することはできなかったのである。
ユダヤ人の指導者たちは、重大な過ちを犯した。と同時に、盲目的に指導者たちに従った民衆にも責任はある。きょうの箇所から教訓を学ぼう。指導者として立てられた者も、指導者に導かれる者も、ともに神の前では責任がある。私たちはこう告白する。「この方(主イエス)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです」(使4:12)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。イエスは主なりと、心の底から告白します。どうか私を、義の道へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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