14 パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。
15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、
16 そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。
17 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
18 「 これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。
19 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。
20 彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。
21 異邦人は彼の名に望みをかける。」
「パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した」。平行箇所マルコ3:6 では、「そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどうして葬り去ろうかと相談を始めた」とある。つまり、パリサイ人たちは、ヘロデ党の者たちと共謀し始めたということである。パリサイ人たちは反ローマで、ヘロデ党の者たちは親ローマである。両者の政治的立場は両極端にあったが、イエスを共通の敵とするという点で彼らは一致した。パリサイ人たちの殺意を知ったイエスは、そこを立ち去られた。その後を、多くの病人たちがついてきた。イエスは彼らをみな癒されたが、自分のことについては宣伝しないようにとお命じになった。イエスのこの姿を、マタイはイザヤ42 章のメシア預言の成就であると見た(マタイはユダヤ人読者のためにこの福音書を書いている)。
イザヤ書には4 つの「しもべの歌」があるが、42 章はその第一番目のものである。そこでは、メシア(ギリシヤ語でキリスト)について以下のような預言がある。(1)メシアは聖霊が宿ったお方。ヨルダン川で洗礼を受けた時、イエスの上に聖霊が下った。それ以降のイエスの歩みは、すべて聖霊に導かれたものであった。(2)メシアは謙遜を身に着けた平和の君。イエスは、神の子としての権利を一度も主張されなかった。また、パリサイ人たちの殺意に対抗して争ったり、癒しの業を大声で宣伝したりはしなかった。(3)メシアはあわれみと忍耐に富んだ方。恐れと疑いのために信仰がかき消されるようになった時、イエスはそばにいてその人を助けてくださる。決して弱い人たち(いたんだ葦、くすぶる燈心)を見捨てることはない。
この時点では、イエスの働きは主にユダヤ人を対象としたものであった。しかし、ここでマタイは預言者の目をもって、イエスの働きの広がりを見ている。イエスは、イスラエル人のメシアであると同時に、諸国民(異邦人)のメシアともなる。この方は、死と悪魔の束縛の中に座っている人々を解放される。偶像の神々にできないことを、イエスはしてくださる。「異邦人は彼の名に望みをかける」とは、なんと素晴らしいことであろうか。私たちは今、この預言が成就した時代に生かされている。私たちは、ユダヤ人のメシアとして来られたお方に望みをかけている。今、神の恵みに感謝し、救い主イエスへの信仰を告白しようではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私の望みはすべて主イエスにかかっています。信じます。どうか私の信仰を強めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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