7 この人たちが行ってしまうと、イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
8 でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。
9 でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。
10 この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。
11 まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。
ヨハネの信仰は揺らいでいたが、それでも彼の偉大さは変わらない。イエスは、彼を非常に高く評価し、5 つの特徴を上げられた。
(1)ヨハネは、軟弱な人ではなく、信念に生きる人であった。「風に揺れる葦」とは、時代の風潮や人々の意見に左右される人を指す。どの時代でも、確固たる信念を持った指導者が必要であることは言うまでもない。自分にはそのような信念があるかどうか、自己吟味してみよう。
(2)ヨハネは、裕福な生活に慣れた人ではなく、荒野に住む神の器であった。人々が荒野に出て行ったのは、軟弱な人、ぬくぬくと暮らしている人を見るためではなかった。彼らは、信念を持った神の器を見るために出て行ったのである。
(3)彼は、神のことばを語る預言者であったが、同時に、それ以上の者であった。なぜなら、メシアの到来を告げ知らせる役割を果たしたからである。
(4)ヨハネは、旧約聖書が預言していた「メシアの先駆者」であった。マラキ3:1 には、「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。・・・」とある。この預言は、バプテスマのヨハネにおいて成就した。
(5)ヨハネは、その時までに生を受けたすべての人の中で最も偉大な者であった。つまり彼は、旧約聖書の聖徒たちよりも偉大だということだ。イエスのこのことばを聞いて私たちが驚くのは、バプテスマのヨハネに関する記録が少ししか残っておらず、彼の偉大さを十分に認識していないからである(使19 章には、バプテスマのヨハネの弟子たちの逸話が出てくる。彼らは、ヨハネの教えしか知らなかった。これは、ヨハネの影響力の大きさを感じさせる逸話である)。
さらにイエスは、「天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です」と宣言された。「天の御国に属する者」とは、イエスの十字架と復活以降にイエスをメシアと信じるようになる者たち、つまり「新約時代の聖徒たち」のことである。新約時代の聖徒たちは、その一番小さい者でも、バプテスマのヨハネよりも偉大なのである。なんと驚くべき宣言であろうか。またここには、バプテスマのヨハネが、イエスの十字架と復活を目撃せずして天に召されることが暗示されている。私たちは、自分が神の目から見て、旧約聖書のすべての聖徒たちよりも偉大であることを認めているだろうか。イエス・キリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者である。
きょうの祈り
天の父よ。どうか私に正しい自己認識を与えてください。主イエスにあって、私は新しくされました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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アモス書7~8、テサロニケ人への手紙 第一4
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