1 イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。
2 すると、ツァラアトに冒された人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
3 イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。
4 イエスは彼に言われた。「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」
この箇所を理解するためには、レプラという病気についての当時のユダヤ人の習慣を知っておく必要がある。(1)新約時代のレプラは、重い皮膚病を指す言葉で、現在のハンセン氏病とは別の病である。(2)モーセの律法では、死人や死んだ動物に触れた場合は、儀式的に汚れるとされていた。生きている人間の場合は、レプラ患者だけが、触れると汚れるとされていた。再度言うが、これは「儀式的な汚れ」である。(3)レプラに感染しているかどうかを判定し宣告するのは、祭司の役割であった。(4)レプラの宣告を受けた人は、共同体からは隔離され、道を歩くときも、「汚れている。汚れている」と叫ぶように命じられた(レビ13:45 ~46 参照)。(5)さらにその人は、幕屋(神殿)に入ることが許されなかったので、霊的祝福を受ける機会も奪われた。
以上のような社会的背景の中で、ひとりのレプラ患者がイエスの足元にひれ伏し、こう願った。「主よ、お心一つで、私をきよめることがおできになります」。レプラが癒されることは、儀式的汚れが清められることなのである。
この人は、イエスには奇跡を行う力があることは信じたのであるが、果たしてイエスが自分のような者にあわれみをかけてくださるかどうか、確信がなかった。今風に言うと、セルフイメージが非常に低かったのである。(1)イエスは手を伸ばし、彼に触れた。この人は、レプラに感染して以来、誰にも触れてもらったことはなかった。イエスが、彼に触れる最初の人となったのである。(2)次にイエスは、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。その瞬間、この人の肉体も魂も、ともに癒された。
モーセの律法が完成して以降、レプラ患者がいやされた例は一つもない。ミリアムはレプラが癒されたが、それは、モーセの律法が完成する以前のことであった。ナアマン将軍もレプラが癒されたが、彼は異邦人であった。ところが、レビ記13~ 14 章には、レプラから癒された場合の手続きが詳細に記録されている。そのため、律法学者たちは、レプラ患者の癒しはメシアだけが行うことのできる奇跡であるとの認識を持つようになった。確かにイエスは、この箇所でメシア的奇跡を行い、ご自身が汚れをきよめる権威を持っていることを証明された。イエスは、ご自身に近づく者を受け入れ、励まし、清めてくださる。いま私たちも、憐れみを受けるために、イエスの足元にひれ伏そうではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。メシアとして来られた主イエスに信頼します。どうか私をきよめてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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