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マタイの福音書6:13 ~ 15

13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

14 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

15 しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

主の祈り(4)

「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」

「主の祈り」の4 回目の学び。今回は、「主の祈り」の6 つの要素の中の6 番目について学ぶ。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」とは、霊的な戦いの中で、守りが与えられるようにという祈りである。クリスチャンは、この世から隔離かくりされて「無風状態」の中に置かれるのではない。主イエスのこのことば。「…あなたがたは、世にあっては患難かんなんがあります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハ16:33)。(1)クリスチャンは、この世で患難を経験する。(2)神は、私たちをこの世から取り出すとは約束しておられない。(3)しかし、この世にあって勝利すると約束しておられる。主イエスがすでに世に勝たれたので、この方を信じる者も同じ勝利にあずかることができるのである。クリスチャンが経験する平安とは、患難の中での平安である。
「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン」。写本の中には、最後の頌栄しょうえいの部分が欠落しているものがいくつかある。この頌栄が原典の一部であるかどうかは別として、内容そのものは「主の祈り」のめくくりにふさわしいものである。
「主の祈り」の直後に続く14 ~ 15 節は、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」(12 節)という祈りの項目の補足説明である。これは、他の人を赦さない人は、天の父との関係が断絶するという警告である。

まとめ

(1)「主の祈り」は、信仰の兄弟たちと祈る共同体の祈りであることに注目しよう。「私たち」という言葉が、9 回も繰り返されている。(2)この祈りは、祈り方のガイドラインとなっている(9 節)。それゆえ、このまま祈ってもいいし、テーマ順に祈ってもよいのである。(3)主イエスは、異邦人のように同じことばを、ただ繰り返してはいけないと言われた。その直後に、この「主の祈り」が出てくるのである。
自らの祈りの生活を吟味してみよう。私たちは、「主の祈り」を意味のないことばのくり返しにしていないだろうか。「主の祈り」をガイドラインとして用いて、その精神に沿った祈りをささげているだろうか。すべての形式主義を排除はいじょし、真心から「主の祈り」にそくした祈りをささげようではないか。真の祈りの回復について、黙想してみよう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。きょうも私を試みに会わせないで、悪から守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書10~11、ガラテヤ人への手紙2