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マタイの福音書6:11 ~ 12

11 私たちの日ごとのかてをきょうもお与えください。

12 私たちの負いめをおゆるしください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

主の祈り(3)

「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」

「主の祈り」の3 回目の学び。今回は、6 つの要素の中の4 番目と5 番目について学ぶ。「主の祈り」の特徴は、まず神のみこころの成就を祈り求め、それから、自分の必要のために祈るということである。
「日ごとの糧をきょうもお与えください」という祈りは、単に食物だけでなく、身体の必要のすべてを覚えて祈るものである。もちろん、天の父は私たちの必要をご存じであるが、私たちがそれを言葉に出して祈ることを喜んでくださる。私たちには、日々の食物以外にもさまざまな必要がある。経済的試練、人間関係の試練、肉体的試練などがそれである。それゆえ、それらの必要が満たされるように、また、試練に打ち勝つ力が与えられるように、日々祈るのである。その日、その日に必要な力が与えられるように、祈ろうではないか。

「私たちの負いめをお赦しください」

これは、罪の赦しを求める祈りである。(1)罪の処理ができていないと、神は私たちの祈りを聞いてくださらない、と教えられることがよくある。しかし、この箇所を見る限り、必ずしもそうとは言えない。むしろ神は、罪人である私たちが、そのままの姿で神の前に出ることを待っておられる。自らの現状をいつわりなく神に申し上げる決心ができたなら、自らの罪を言い表すことができるようになる。「主の祈り」の組み立てに従うなら、罪の告白は祈りの冒頭に来なくてもよいのである。(2)「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」。これは、他の人の罪を赦すことが私たちの罪が赦される条件となる、という意味ではない。ここで言われているのは、罪の赦しを真実に経験した人は、他の人が自分に対して犯した罪を赦すことができるはずだということである。もしそれができないなら、自分の罪の深さや、それを赦してくださる神の恵みの大きさが、まだ理解できていないということになる。もし赦せない人がいるなら、なぜ赦せないのかを黙想してみよう。
他の人を赦せない人は、天の父との平和な関係を維持いじできているとは言いがたい。なぜなら、その人の内面が天の父のご性質とは遠く離れた状態になっているからである。天の父は赦しと愛の神である。その天の父との交流を楽しむためには、私たち自身が赦しの心を持った者になる必要がある。他の人の負いめを赦すことは、自分自身が自由になることでもある。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私があなたから受けた愛と恵みとは、絶大なものです。その愛によって、私の心に人を赦す思いが与えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書8~9、ガラテヤ人への手紙1