19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。
20 「 立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
21 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った。
22 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる」と言われた事が成就するためであった。
ヘロデは、ベツレヘムの幼児虐殺 事件の後、2 年弱で死んだ。ヘロデの王国は3 人の息子たちに分割された。ユダヤを受け継いだのは、アケラオであった。このアケラオは、父ヘロデと同じように残虐な支配者であった。彼は、即位後間もなく、過越の祭りの期間に3,000 人のユダヤ人たちを神殿内で殺した。そのため彼は、紀元6 年にローマによって退位させられた。
さてヨセフは、家族を連れてイスラエルの地に戻ろうとしたが、アケラオへの恐れのゆえに、ユダヤのベツレヘムへの帰還は断念し、ガリラヤに向かった。ガリラヤは、ヘロデの別の息子であるヘロデ・アンティパスが統治していた。そのような経緯で、幼子イエスは、およそ30 歳になるまで、ヨセフとマリアの出身地であるナザレで過ごすことになった。
「そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる』と言われた事が成就するためであった」(23 節)。(1)ここでマタイは、イエスがナザレに住んだのは、預言の成就であると書いている。しかし、旧約聖書のどこを捜しても、「この方はナザレ人と呼ばれる」という預言は出てこない。ナザレという町自体が旧約聖書には出てこないのである。(2)これもまた、当時のユダヤ教のラビたちの引用法のひとつである。これは、ある聖句を直接引用しているのではなく、預言者たちの考えを要約している箇所である。23 節では、「預言者たち」と複数形になっていることに注目しよう。「この方はナザレ人と呼ばれる」とは、ある特定の預言の引用ではなく、預言者たちが語った数々のメシア預言を統合して解釈したものである。(3)ナザレは、1 世紀のユダヤ人にとっては、取るに足りない村であった。事実、ガリラヤ全体がユダヤとの比較上、軽蔑の対象となっていた。(4)主イエスは、人々がまさかと思うような場所(ヨハ1:46 参照)、さげすまれた寒村ナザレで育たれた。マタイは、その事実の中に、「しもべ」としてのメシア預言の成就を見たのである。
神の子は、単に人となられただけではなく、人として最も貧しい状況の中に身を置いてくださった。今、主イエスが私たちのために、どこまで貧しくなってくださったのかを黙想してみよう。主イエスの犠牲的な愛への応答こそ、クリスチャン生活の原動力である。きょう一日、どんなに小さなことでも、主イエスに仕えるようにそれを行おうではないか。
きょうの祈り
天の父よ。私のために「ナザレ人」となってくださった主イエスの愛に心から感謝します。私もまた、神のしもべとなることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書10~11、コリント人への手紙 第一13
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