22 ヨセフとその父の家族とはエジプトに住み、ヨセフは百十歳まで生きた。
23 ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生まれて、ヨセフのひざに抱かれた。
24 ヨセフは兄弟たちに言った。「私は死のうとしている。神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。」
25 そうして、ヨセフはイスラエルの子らに誓わせて、「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから、そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」と言った。
「ヨセフとその父の家族とはエジプトに住み、ヨセフは百十歳まで生きた」とある。つまり、ヤコブの死から54 年経って、ヨセフは110 歳で死を迎えたということになる。エジプト人たちは、110 歳という年齢を理想的なものと考えていた。ヨセフの人生は、祝福に満ちたものとなった。
次に、「ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生まれて、ヨセフのひざに抱かれた」とある。誕生の時に「ひざ」で受けるのは、自分のものであることを表明する行為である。子どもが多く与えられることは、聖書では祝福のしるしである(詩128:6、箴17:6、イザ53:10 など参照)。
ヨセフは、神からの直接的な啓示を受けたことはなかったが(彼に与えられていたのは、夢を通しての啓示であった)、すでに父祖たちに示されていた神の約束(アブラハム契約)を信じて、地上生涯を全うした。彼は兄弟たちにこう語った。「神は必ずあなたがたを顧みて、この地からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地へ上らせてくださいます。そのとき、あなたがたは私の遺体をここから携え上ってください」。ヘブル11:22 は、この遺言が信仰によってなされたものであると説明している。「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました」。そこで、ヨセフの兄弟たちは彼をミイラにし、棺に納めた。聖書の中では、ミイラにされたのはヤコブとヨセフだけである。カナンの地で葬って欲しいというヨセフの願いが実現するのは、それから400 年以上も経ってからである。彼の遺体は、シェケムの地に葬られることになる(ヨシ24:32)。イスラエルの民は、エジプトでの400 年にわたる奴隷生活の間、ヨセフのミイラを見ながら約束の地への帰還の希望を抱き続けたことであろう。
私たちクリスチャンには、ミイラ以上に素晴らしい保証がある。私たちの救い主である主イエスは復活され、今も生きておられる。私たちが見ているのは、ミイラではなく、生きておられるイエス・キリストである。さらに、私たちには聖霊の保証が与えられている。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです」(エペ1:14)。私たちは、エジプトにいたイスラエルの民以上に祝福された状況に置かれている。それ故、希望を失ってはならない。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。私たちには復活の主イエスと、聖霊とが与えられています。希望をなくすことなどあり得ません。そのことのゆえに御名をたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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イザヤ書58~59、コリント人への手紙 第一6
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