16 ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。
17 ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。それゆえ、乗る者はうしろに落ちる。
18 【 主】よ。私はあなたの救いを待ち望む。
ダン族に関しては、次のことが預言されている。(1)ダンという名には、「かばう」、「裁く」という意味がある。ダンは、ラケルの女奴隷ビルハの子として誕生した。その子が生まれた時、ラケルは、「神は私を正しくさばいてくださった」と叫び、その子にダンという名をつけた(創30:6)。その名が示すように、ダン族に与えられた使命は、「民を裁くこと」であった。サムソンは士師の中の代表的な人物であるが、その出自はダン族である(士13 ~16 章)。(2)しかしダン族は、その崇高な使命を全うすることが出来なかった。17 節には、「ダンは、道のかたわらの蛇、小道のほとりのまむしとなって、馬のかかとをかむ。それゆえ、乗る者はうしろに落ちる」とある。その意味は、ダン族は裏切りを働くということである。(3)士師記18 章には、ダン族がライシュを襲ったことと、彼らが偶像礼拝に惹かれるという弱点を持っていたことが書かれている。(4)ダン族は、12 部族のリストの最後に登場することが多い部族である。民数記10:25 では、全宿営の後衛に置かれている。また、黙示録7 章では、12 部族から救われる14万4,000 人の中にダン族の名が出ていない。とはいえ、それはダン族が消滅するということではない。彼らもまた、千年王国に住むようになる。
ヤコブは、突如こう叫ぶ。「【主】よ。私はあなたの救いを待ち望む」(18 節)。ヤコブがこの祈りを挿入した理由は、いくつか考えられる。(1)最初の可能性は、ダン族の将来を思い、神の恵みがこの部族に注がれるように祈ったというものである。その祈りが聞かれるのは、メシア的王国が成就する時である。そこにはダン族も含まれているので、彼らが永遠に滅びたのではないことが分かる(エゼ48:1 ~2、32)。(2)次の可能性は、ヤコブが息子たちに対して、救いの必要性とメシアへの信頼を教えているというものである。(3)最後の可能性は、ヤコブ自身がメシア的王国へのあこがれを表明しているというものである。その王国においては、イスラエルの12 部族はあらゆる迫害と試練から自由になる。
いずれの可能性も、神への信頼を表明しているという点では共通している。私たちは、ヤコブの祈りから何を学ぶことが出来るだろか。自分が神の助けを必要としている者であることを認め、神に向かって心の底から叫ぼうではないか。どのような絶望の中にあっても、神は私たちの祈りを聞いておられる。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。私もまた、「主よ。私はあなたの救いを待ち望む」と叫びます。どうか私を救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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イザヤ書38~39、箴言28
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