10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。
11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
旅に出た時のヤコブの心境を考えてみよう。彼の年齢は、すでに70 代になっていた。彼は失望し、自責の念にかられ、将来への不安を覚えていたことであろう。そういう状態で旅を続けながら、彼は、神が用意された場所に着いた。
「ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった」。(1)そこは、ヤコブが初めて霊的な体験をする場所となる。神がその場所を用意されたのである。(2)それまでは、神は「アブラハムの神」、「イサクの神」ではあっても、「ヤコブの神」とはなっていなかった。つまり、ヤコブには個人的な神体験がなかったのである。(3)彼は知らなかったが、そこはベテルと呼ばれる場所であった。祖父アブラハムが、初めて約束の地で祭壇を築き、公の礼拝をした場所である(創12:8)。(4)「石を枕にして」とは、頭のところに石を置いて寝たという意味である。サムエル第一26:7 では、サウル王が枕もとの地面に槍を突き刺して寝ている。それと同じことである。
「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている」(新改訳)。新改訳では、「はしご」と訳されているが、新共同訳では、「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」となっている。「階段」という訳の方が、意味が鮮明になる。(1)これは、族長が夢を見る初めてのケースである。創世記20 章では、アビメレクが夢を見たが、彼は族長ではない。(2)夢の中で、地と天を結ぶ階段が見えた。ヤコブは地におり、神は天におられる。その間にある階段を、天使たちが上り下りしている。つまり、ヤコブは天に近づくことを許されているということである。(3)「神の使いたち」という言葉は、創世記に2 回出て来る。ヤコブが約束の地を去る時(28:12)と、ヤコブが約束の地に帰る時(32:1)である。
ヤコブが見た天と地をつなぐ階段は、主イエスを予表している。主イエスを救い主として受け入れた人は、個人的な神体験をした人である。私たちは、主イエスを通して父なる神に近づくように招かれている。主イエスを通して、栄光の御座に近づこうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私を御許に招いてくださり感謝します。今、信仰により、主イエスを通してあなたに近づきます。私がささげる礼拝をお受け取りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
申命記29~30、マタイの福音書27
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