1 イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、長男のエサウを呼び寄せて彼に「息子よ」と言った。すると彼は、「はい。ここにいます」と答えた。
2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。
3 だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。
4 そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。」
創世記27 章では、イサク、リベカ、ヤコブ、エサウの4 人がそれぞれ罪を犯している。その罪がなんであるか、順次見ていくことにする。最初は、イサクの罪である。
「イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき」。彼は、自分の寿命が終わろうとしているという自覚を持ったようである。盲目になったために、弱気になっていたのであろう。そこで彼は、エサウにこう願う。「だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために」。息子エサウが持ち帰る獲物の肉が、彼の大好物であった。
イサクの願いには、いくつかの問題点があった。(1)イサクはエサウを祝福しようとしたが、それは、リベカに与えられた神の啓示に反する行為であった(25:23 参照)。神は、双子の兄弟が誕生する前から、弟のヤコブを選んでおられたのである。(2)また、イサクのこの行為は、長子の権利がすでにエサウからヤコブに売り渡されたという事実を無視するものであった。つまり、法律に反する行為なのだ。(3)さらに、これは、エサウがヘテ人の娘たちと結婚したことを考慮しない行為であった。この結婚によって、エサウは、アブラハム契約とそれがもたらす霊的祝福を軽蔑したのである。(4)では、この行為によってイサクは何を得ようとしたのだろうか。彼が欲したのは、鹿肉の料理である。それを食べたかったので、エサウに長子の祝福を与えようとした。ここでのイサクの愚かさは、レンズ豆の煮物と引き換えに長子の権利を弟に売り渡したエサウの愚かさとよく似ている。
イサクの罪とは、神の計画に反して行動したことである。一般的には、ヤコブがエサウから長子の権利を奪ったと考えられている。しかし、そうではない。長子の権利はヤコブのものである。その権利を、イサクとエサウが奪おうとしているのである。覚えておくべきは、人間がいかに策略を巡らしても、神の計画は必ず成就するということである。それどころか、神の計画に反することを行う者には、神からの裁きが下る。その証拠に、イサクはヤコブによって欺かれることになる。神の計画に敵対して生きる人は愚かである。私たちも、自分が置かれている状況と戦うのではなく、その中にあって神の御心を行うことを学ぼうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。イサクは神を恐れることを忘れ、御心に反してエサウを祝福しようとしました。イサクを反面教師として、霊的教訓を学ばせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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