3 翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。
4 三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。
5 それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。
6 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
神の命令を受けたアブラハムは、早速それを行動に移した。彼の行動には、7 つのステップがある(3 節)。・翌朝早く、・ろばに鞍をつけ、・ 2 人の若い者と、・息子イサクとをいっしょに連れて行った。・彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。・彼は立って、・神がお告げになった場所へ出かけて行った。この7 つのステップすべてが、アブラハムの従順を表している。
彼はモリヤの地に近づいた(4 節)。ここまでで、100km 前後を移動したことになる。ほぼ3 日の道のりである。イサクをいけにえにする場所が、はるかかなたに見えてきた。アブラハムが若い者たちに語った言葉に注目しよう。「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」(5 節)。主語は「私と子ども」である。アブラハムには、2 人とも戻って来るという信仰があった。その理由は、彼が神の約束を信頼していたからである。アブラハムの論理は、次のようなものであった。(1)神は、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるからだ」(21:12)と約束してくださった。(2)もしイサクが死んだとしたら、神が彼を復活させない限りこの約束は成就しない。神はご自身の約束を守り、成就させるお方であるから、イサクは死んでも必ず復活する。この時、アブラハムの心に復活信仰が生まれた。試練が、彼を復活信仰へと導いたのである。
若い者たちをふもとに残して、アブラハムはイサクとともに先に進んだ(6 節)。(1)イサクは自分がその上で焼かれるためのたきぎを背負って歩んだが、これは、イエスが十字架を背負って歩まれたのと同じ情景である(ヨハ19:17)。(2)アブラハムは、火と刀とを自分の手に取り、2 人はいっしょに進んで行った。これは、父なる神が御子を犠牲にされたのと同じ情景である。「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。…しかし、彼を砕いて、痛めることは【主】のみこころであった。…」(イザ53:7 ~10)
アブラハムとイサクはともに苦しんだ。そのように、父なる神と子なる神も、私たちの罪を贖うためにともに苦しんでくださった。三位一体の神のすべてが救済計画に関わっておられる。神の愛を信じ、そこに信頼を置く人は幸いである。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの無条件の愛、絶対的な愛を今心に受け取ります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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