14 翌朝早く、アブラハムは、パンと水の皮袋を取ってハガルに与え、それを彼女の肩に載せ、その子とともに彼女を送り出した。それで彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩いた。
15 皮袋の水が尽きたとき、彼女はその子を一本の灌木の下に投げ出し、
16 自分は、矢の届くほど離れた向こうに行ってすわった。それは彼女が「私は子どもの死ぬのを見たくない」と思ったからである。それで、離れてすわったのである。そうして彼女は声をあげて泣いた。
17 神は少年の声を聞かれ、神の使いは天からハガルを呼んで、言った。「ハガルよ。どうしたのか。恐れてはいけない。神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。
18 行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。わたしはあの子を大いなる国民とするからだ。」
19 神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた。
アブラハムは、5 つのことをした。(1)翌朝、早く起きた。これは、ついに彼が決断したことを示している。(2)パンと水の皮袋を取った。つまり、イシュマエルに相続財産はないということである。(3)それをハガルに与え、彼女の肩に載せた。これで追放の準備が整った。(4)「その子とともに」とある。つまり、アブラハムはイシュマエルをハガルに委ねたのである。(5)そして、彼女を送り出した。これで公式な追放が完了した。
「送り出した」という言葉に注目しよう。サラは、「追い出してください」(ヘブル語でガラッシュ)と言ったが、これは敵意のある言葉である。しかし、アブラハムの行為を表す「送り出した」(ヘブル語でシャラッハ)は、中立の言葉である。これと同じ動詞が創世記3:24 で使われている。神がアダムとエバをエデンの園から追放した時、そこには敵意の感情はなかった。アブラハムもまた、あわれみの心をもってハガルとイシュマエルを追放したのである。
アブラハムが与えたパンと水は、次のオアシスにたどり着くまでに必要なものであった。ところがハガルは道に迷い、命の危険に直面した。息子のイシュマエルの方が先に衰弱し、死にそうになった。ハガルは息子を日陰に置き、自分は「矢の届くほど離れた」ところに退いた。彼女は、息子の最期を見たくなかったのである。そして彼女は、声を上げて泣いた。なんとも切ない思いにさせられる箇所である。
そこに神の介入があった。ハガルは神の使いの声を聞いた。彼女がこの体験をするのは、これが2 度目である(16:11 参照)。(1)神の使いが、慰めのことばを語った。「ハガルよ。どうしたのか」。「恐れてはいけない」。「神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ」。(2)次に、命令のことばが与えられた。「立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする」(新共同訳)。これは、2 人とも生き延びるという約束であり、アラブ民族が誕生するという約束である。(3)次の瞬間、ハガルの目が開かれた。彼女は、そこに井戸があるのを発見した。井戸はそこにあったのに、彼女にはそれが見えていなかったのである。
私たちもまた、「そこにある井戸」を発見する必要がある。荒野を旅する私たちのために、神は井戸を用意しておられる。神が私たちの目を開いてくださるように、祈ろう。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。私の霊の目を開き、「そこにある井戸」を発見させてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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