5 そのとき【主】は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。
6 【 主】は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。
7 さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」
8 こうして【主】は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。【主】が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、【主】が人々をそこから地の全面に散らしたからである。
「そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた」(5 節)。(1)これは擬人法による風刺的表現(皮肉)である。(2)人類は自慢げに高い塔を建てたが、神の視点からすると、それは、天から降りて来なければ見えないほどに小さなものである。神は高き所に住んでおられる。それゆえ、人類が神の高みにまで届くことは不可能であり、そう考えること自体が傲慢である。(3)さらにこの塔は、偶像礼拝の場として用いられる危険性もあった。
「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない」(6 節)。(1)当時人類は、同じ言葉を用いる一つの民であった。それゆえ、意思疎通は容易であった。彼らは、自らが持っている富と力を結集し、高い塔を建てた。(2)それを見て、神は次のように判断された。「塔を建てたのは、反抗の始まりに過ぎない。これを放置すれば、あらゆる種類の反抗が起こってくる。すぐに行動を起こすべきである」
「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」(7 節)。(1)神が再び地上に降りて来られるが、今回は裁きをもたらすためである。日本語訳では表現されていないが、主語は複数形である(英語では「Let us」となっている)。複数形の主語は、三位一体の神が行動を起こしていることを示している。(2)神が地に降りて来る目的は、ことばの混乱をもたらすためである。それによって、「悪の連帯」を破壊するのである。
8 ~ 9 節には、裁きの結果が記されている。(1)互いのことばが通じなくなったために、人々は地の全面に散らされて行った。10 章に記されていた人類の離散は、このようにして起こったのである。(2)この町にバベルという名前が付けられた。その名前には、「散らす」という意味と「神の門」という意味がある。さらにバベルは、「バラル(混乱させる)」という言葉とも似ている。バベルという名前は、「神の門」が「混乱の門」になったことを示している。
歴史から教訓を学ぼう。神への反抗は、人々を混乱へと導く。これは個人の生活にも適用される真理である。自分の人生に混乱した部分があるなら、その原因がなんであるかを考えてみようではないか。神から与えられた賜物を、自分の栄誉のために用いていないかどうか、聖霊に吟味していただこう。
きょうの祈り
天の父よ。私は、メシアである主イエスを通してあなたと和解しました。どうか私を、混乱から救ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
詩篇149~150
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