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創世記10:6 ~ 20

6 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。

7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。

8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。

9 彼は【主】のおかげで、力ある猟師りょうしになったので、「【主】のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」と言われるようになった。

10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。

11 そ の地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、

12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。

13 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、

14 パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ。

15 カナンは長子シドン、ヘテ、

16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、

17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、

18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。

19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。

20 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。

ハムの系図

ハムの子孫たち

 「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン」(6 節)。ハムには4 人の息子が生まれたが、詳細に取り上げられているのは、その中の3 人である。クシュ、ミツライム、カナン。この系図によれば、ハムから出る氏族数は30 に上る。
 (1)クシュには、6 人の息子が生まれた。その中で重要なのが、6 番目のニムロデである。その名前の意味は、「反逆する」である。おそらく、後になってから彼に与えられた名前であろう。ニムロデは、「地上で最初の権力者となった」とある。彼は邪悪じゃあくな者であり、けものの狩猟者であるばかりか、人を狩る者ともなった。そのために、「主の前に力ある狩猟者ニムロデのごとし」(口語訳)ということわざが生まれたのである。ニムロデは、初めて王国を建てた者となった。王国の1 つはシヌアル(バビロニア)に、もう1 つはアシュル(アッシリヤ)に。この時に、後の時代にイスラエルの民が経験するバビロン捕囚ほしゅうとアッシリヤ捕囚の種がかれたことになる。
 (2)ミツライムには、7 人の息子が生まれた。「ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、パテロス人、カスルヒム人──これからペリシテ人が出た──、カフトル人を生んだ」(13 ~ 14 節)。ミツライムという言葉は、エジプトを意味する言葉である。ミツライムの系図の中に「ペリシテ人」が登場するが、これは、士師記やサムエル記の中でイスラエルの仇敵きゅうてきとして登場するペリシテ人(エーゲ海から移住した民族)とは別の氏族と考えるのが正解である。この系図に出て来るペリシテ人は、それよりも前から存在していたのである。
 (3)カナンには11 人の息子が生まれた。「カナンは長子シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た」(15 ~ 18 節)。カナンはノアの預言によって呪われた民となった。彼らは、後にイスラエルの民を攻撃する民となる。
 今回は、ニムロデを反面教師として、神を恐れる生き方を学ぼうではないか。彼はまさに、傲慢ごうまんな現代人の原型のような人物で、神に対する恐れを欠いていた。彼の生き方は、決して英雄的なものではなく、おろか者のそれである。「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らはくさっており、まわしい事を行っている。善を行う者はいない」(詩14:1)

きょうの祈り

天地創造の神よ。あなたを恐れる人生こそ、勝利者の人生です。ニムロデを反面教師として学ばせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二27~28、詩篇145~146