6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。
7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。
8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、
9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。
神がノアに語りかけてから7 日たつと、雨が降り始める。これは、人類が初めて経験する雨である。それまでは、地上に雨が降ることはなかったのである。この雨は、なんと40 日40 夜も降り続ける。その目的は、「すべての生き物を地の面から消し去るため」である。
雨が降り始めるまでにノアに与えられた時間は、7 日間である。すべての動物が箱舟に入るための時間としては、これで十分である。それゆえ、あわてる必要はない。私たちには、十分な時間が与えられている。と同時に、その時間をむだにする余裕は与えられていない。ノアに与えられた7 日間の意味を、自分に適用してみよう。私たちは、自分に与えられている時間を有効に用いているだろうか。
この時ノアは、600 歳になっていた。彼は家族を連れ、箱舟に入った。その後を、動物の行列が延々と続いた。箱舟に入るかどうかで生死が決まるのだから、これは厳粛な行列である。動物の分類が記されている。① きよい動物、② きよくない動物、③ 鳥、④ 地をはうすべてのもの。それらの動物が、雄と雌2 匹ずつ箱舟に入って来た。注目すべきは、ノアが動物たちを集めたのではなく、神がそれを行われたという点である。神の働きが進展するためには、2 つの要素が両立する必要がある。神の行為と人間の行為の2 つである。ここでは、動物を集めるのは神の役割であり、箱舟を造るのはノアの仕事である。
神の領域と人間の領域を混同してはならない。もし神の領域に属することを自分で果たそうとするなら、疲れと失望感だけが残る。そういうタイプの人は、神に委ねることを学ぶ必要がある。私たちが責任を持つべきは、人間の領域のことである。もし人間の領域のことについて責任を持たない人がいるなら、その人は無責任な人であり、神の御業は何も起こらない。民数記21:8 には、「すると、主はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる』」とある。毒蛇にかまれて死にそうになった時、イスラエルの民は青銅の蛇を見上げていやされた。ちなみに、青銅という金属は神の裁きと関係がある。青銅の蛇は、人類の罪をその身に負われた十字架上のキリストの象徴となっている。青銅の蛇を旗ざおの上につけることと、それを見上げることは、人間の責任であり、見上げた人をいやすのは、神の役割である。クリスチャン生活では、このバランスが大切である。
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