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創世記3:6〜8

6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。

堕落の結果

霊的死

 禁断の実を食べたアダムとエバに何が起こったのか。神は、「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(2:17)と語っておられた。その警告通りに、アダムとエバは霊的死を経験したのである。
 (1)確かに、ふたりの目は開かれた。ふたりは今まで持っていなかった認識を持つようになった。しかしそれは、サタンが約束したようなものではなかった。(2)ふたりは、自分たちが裸であることを知った。これは、積極的な意味での知識ではなく、恥の感覚のことである。ふたりは、それまでの無垢むくな性質を失い、欲望を持つようになった。(3)いちじくの葉をつづり合わせた。いちじくは、中東では一番大きな葉を付ける木である。それを利用すれば、広い範囲を隠すことができる。(4)腰のおおいを作った。これは、自分の裸を隠そうとする行為であるが、特に、生殖器せいしょくきを隠そうとしたのである。生殖器を隠したということは、「人間の命のみなもとが罪によって汚れた」ことを示している。これ以降、原罪が両親を通して子孫に伝わることになった。ダビデは、詩篇51:5でこう歌っている。「ああ、私はとがある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました」

神を恐れる

 霊的死とは、神からの断絶である。罪を犯したふたりは、その断絶を経験した。「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した」(8節)とある。(1)時は、そよ風が吹くころ、つまり夕刻である。(2)「園を歩き回られる神である主」という表現から、神は習慣的に、この時刻にアダムとエバの前に現れ、ふたりと交わっていたことが分かる。この場合、シャカイナ・グローリーがふたりの前に現れていたはずである。(3)しかしこの場面では、ふたりはシャカイナ・グローリーを見る前に神の声を聞き、恐れて園の木の間に身を隠した。
 全知全能の神の前に、隠しおおせるものはなにもない。にもかかわらず、アダムとエバはいちじくの葉で腰をおおい、木の間に身を隠した。なんとおろかなことであろうか。かく言う私たちも、同じ過ちを犯すことがある。神の前に隠しごとをしても、それは無駄むだな努力である。自分のしたこと、考えていること、かかえている問題などをすべて、神に申し上げよう。神の前に正直であることが、祝福を受ける道である。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなたは私のすべてをご存知です。あなたの御前を正直に歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エズラ記1~2、ペテロの手紙 第二2