1 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。
2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
今パウロはカイザリヤからローマに向かっている(囚人として)。パウロは、ローマに上るというゴールを常に意識していた。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った」(使19:21)。
その過程で、パウロは幾多の困難に直面した。①大嵐に遭遇し、船が漂流した。②船が座礁した。③しかし、パウロの命は守られて来た。④そしてついに、パウロはマルタ島に漂着した。
「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った」。パウロの一行は、マルタ島に上陸した。①この島は、地中海の中央、シチリア島から南に93 キロ離れた所にある縦29 キロ、横13 キロ、最高標高点253 メートルの島である。②現在は、マルタ共和国内の島(同国内で最大の島)である。③ 1989 年12 月、米ソ首脳による会談(マルタ会談)が開催され、米ソ冷戦の終結が宣言されたことで有名である。④猫が非常に多く生息している島としても有名(70 万匹以上で、人口の倍近くの数)。マルチーズ犬の原産地でもある。
「島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた」。(1)「島の人々」は、ギリシア語では「バーバロス」である。英語では、「the barbarians」であるが、この言葉には、野蛮人や未開人というニュアンスはない。当時、ギリシア語やラテン語を話さない人は、「バーバロス」と呼ばれた。(2)この時代、マルタ島には、フェニキア出身の人たちが住んでいた。彼らは、ギリシア・ローマ文明とは異なるが、洗練された文化を持っていた。それゆえ、野蛮人ではない。(3)彼らは、漂着した一行を非常に親切にもてなしてた(雨が降って寒かったので、浜辺でたき火を焚いてくれた)。
パウロがローマを訪問するというのは、神の御心であった。神の御心なら、いかなる困難があろうとも、それは成就する。このことを覚え、さらに神に忠実に歩もうではないか。
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伝道者の書3〜4、詩篇109〜110
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