19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。
20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
21 「 神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
22 それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。
パウロは、単独で会堂に入り、イエスがユダヤ人のメシアであることをヘブル語聖書から論じた。結果は良好であった。
「人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、」。(1)他の町のユダヤ人たちとは異なり、エペソのユダヤ人たちはパウロが語ることに興味を示した。①彼らは、もっと長くとどまるようにパウロに頼んだ。②パウロから、さらなる解き明かしを聞きたいと願ったのである。③これは、ユダヤ人から返って来る反応としては珍しいものである。(2)しかしパウロは、彼らの願いを聞き入れなかった。①祭りまでにエルサレムに着きたいと願っていたからである。この祭りが、過越の祭りか、五旬節の祭りか、仮庵の祭りか、断定できない。②パウロは、モーセの律法に慣れ親しんだユダヤ人である。彼には、律法を守る自由も、守らない自由もあった。③パウロがエルサレムに上ることに固執した理由は何か。彼は、エルサレム教会(母教会)と指導者たち(ヤコブ)への挨拶と交わりを重視した。さらに、エルサレムで再会する旧友たちへの伝道も視野に入れていたのであろう。
「『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます』と言って別れを告げ、エペソから船出した」。(1)パウロは、エペソでは伝道の扉が開かれていることを実感したはずである。それで、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言ったのである。これは外交辞令ではなく、真心から出た真実な言葉である。(2)パウロは、一年も経たない内にエペソに戻ることになる。エペソは、パウロの宣教活動において最大の成果をもたらす町となる。(3)「神のみこころなら(if God wills)」は、ユダヤ人たちが使用する常套句である。今でもユダヤ人たちはこの言葉を使う。異邦人の中にも使う人は多い。これは、神の主権を認める言葉である。この言葉には2 種類の使い方がある。①自分の計画や願いを中心に置いて、「神のみこころなら」と言う人がいる。②さらに、神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人がいる。
「神のみこころなら」という言葉を正しく用いよう。自分の願いではなく、神の計画の成就を願い、「神のみこころなら」と言う人にならせていただこう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたのご計画の成就を私自身の願いとすることができますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
出エジブト記 5~6、ヨハネの福音書 4
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