12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
13 「 この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。
14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、
15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
16 こうして、彼らを法廷から追い出した。
17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。
18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、」。地方総督ガリオは、名家の出身である。(1)大セネカ(マルクス・アンナエウス・セネカ)という修辞学者には、3 人の息子たちがいた。①ルキウス・アンナエウス・ノバトゥス。彼は、修辞学者のルキウス・ユリウス・ガリオの養子になり、後にルキウス・ユリウス・アンナエウス・ガリオと呼ばれた。使徒18:12 に登場するのは、このガリオである。②小セネカ(ルキウス・アンナエウス・セネカ)は、ストア派の哲学者で、ネロの家庭教師となった。彼は、ローマでは大きな影響力を持っていた。③アンナエウス・メラ。(2)この箇所に登場するガリオは、大セネカの長男であり、小セネカの兄である。①ガリオは、温厚な好人物としての評価が高かった。②弟の小セネカは、「ガリオほど魅力的な人物は他にいない」と兄を絶賛している。(3)ガリオは、アカヤの地方総督であった。①彼の任期は、紀元51 ~ 52 年と言われている(病気のために途中で退職した)。②この裁判が行われたのは、恐らく紀元51 年の終わり頃であろう。これは、パウロの活動の絶対年代を決めるための情報の一つである。③ガリオと小セネカは、紀元65 年にネロによって殺された。
ユダヤ人たちは、新任の地方総督が来たので、勝訴する可能性があると考えたのであろう。(1)彼らはパウロを法廷に引いて行った。法廷と訳された言葉は、ベイマ(bema)である。「審判(さばき)の座」(文語訳)という訳もある。ここは、アゴラ(市場)の中央に造られた一段高い場所で、判決はここから出された。裁判の様子を傍聴することが、一般人にも許されていた。(2)ユダヤ人たちは、「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。①ユダヤ教は、ローマの公認宗教であった。②ユダヤ人がユダヤ人を改宗させることは許されていたが、ローマ市民に伝道することは違法であった。③訴えの内容は、パウロがローマ市民に非公認の宗教を伝えているというものである。ピリピとテサロニケでも、同じ訴えがあった(使16:20 ~ 21、17:6 ~ 7 参照)。
裁判の結果は、次回学ぶことになるが、ここでの教訓は、神は試練を祝福に変えることができるという点である。試練は、神が働くチャンスでもある。どのような状況に置かれても、神を信頼し続けようではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたは、試練を祝福に変えることのできるお方です。どのような状況でも、あなたを信頼します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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