11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。
「そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、『私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください』と言って頼み、強いてそうさせた」。(1)その日の内に、ルデヤとその家族は洗礼を受けた。回心の直後に洗礼を受けたということである。これは、水に浸かる洗礼である。主が心を開いたのは、ルデヤだけでなく家族全員であった。家族とは、「オイコス」、英語で「household」である。この言葉は、しもべたちも含む広い概念である。彼女が結婚していたかどうかは、この言葉から判断することはできない。また、同じく川岸にいたルデヤの家族ではない女たちが、どのように反応したかも書かれていない。(2)彼女は、パウロによって導かれたヨーロッパにおける最初の信者となった。その後彼女は、パウロの一行を自分の家に招待した。それは、4 人の客をもてなすことができるほどの大きな家であった。この招きは、彼女の家をピリピでの伝道の拠点にするようにという提案である。ローマ世界では、宿泊施設は少なく、あったとしても不快なものであった。初期のクリスチャンたちには、巡回伝道者を自分の家に迎え入れる習慣があった。彼女は、パウロの一行を自分の家に泊まるよう説得した。これは、彼女の信仰が本物であることを示す愛の行為である。彼女は信仰によって救われたのだが、その信仰には行為が伴ったのである。
福音は、すべての人に救いをもたらす神の力である。少し先の話になるが、ルカはピリピで信者となった3 人の人たちを描いている。ルデヤ、女奴隷、牢獄の看守がそれである。彼らは、身分も境遇も大いに異なるが、同じ福音によって救われた。パウロは、ローマ1:16 でこう述べている。「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」。ピリピでの伝道は、福音は信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力であることを証明している。私たちも、この福音によって救われたのである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。私を福音の使者として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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