11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。
「安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した」。(1)通常、パウロは安息日に会堂を訪問し、そこで福音を語っていた。しかし、ピリピには会堂はなかった。これほどのサイズの町に会堂がないのは驚きである。この町には、ユダヤ人の成人男子が10 人もいなかったということである。(2)そこで4 人は、祈り場を探した。会堂がない場合、川岸に集まり、会堂での礼拝と同じことをする習慣があった。川岸を選ぶ理由は、川が洗礼槽(ミクベ)の役割を果たすからである。水は、ユダヤ教のきよめの儀式を行うためのものである。(3)パウロの一行は、町から約2.5 キロ離れたガンギテス川の川岸に出かけた。「祈り場」とは、小さな建物だった可能性がある。ユダヤ教では、「祈り場」とは会堂のことである。(4)そこには男はいなくて、集まっていたのは女たちだけであった。女たちの人数は、記されていない。男はいなかったが、パウロは構わずに彼女たちに福音を語った。これは、かつてのパリサイ人パウロの姿ではない。当時のパリサイ人たちは、こう祈っていた。「私は異邦人ではなく、奴隷でもなく、女でもないことを感謝します」と。
「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」。(1)聴衆の中に、ルデヤという女がいた。彼女は、テアテラ市出身のビジネスパーソンである。テアテラ市はアジア州の町で、染色業で有名であった。特に、紫布がその町の重要な産物であった。当時、紫布は高価な商品であった。ローマ時代、紫布を着用して良いのは特定の階級の者だけであった。ルデヤの顧客は、特権階級の者たちだけであったことだろう。(2)彼女は、神を敬う異邦人であった。つまり、まだ新約聖書の教会(「キリストのみからだ」)の一員にはなっていなかったのである。その彼女が、パウロのメッセージに耳を傾けた。(3)「主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた」。彼女の心を開いたのは、主である。彼女の心は、すでに用意されていた。伝道の主役は、復活のキリストである。
きょうの祈り
聖なる神よ。人の心を開いてくださるのは、あなたです。私を、キリストの福音を伝える器として用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第二19~20、詩篇143~144
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