7 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
「こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」。(1)ビテニアは、黒海の南岸地域で、ローマ世界では重要な交通の要衝の地であった。パウロの移動計画は、理に適ったものである。(2)「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」とある。①今度も、パウロの計画が途中で止められた。②ここでは、「イエスの御霊」という言葉が出て来る。これは珍しい用法で、使徒の働きの中ではここだけに出て来るものである。ローマ8:9 では、「キリストの御霊」という言葉が、ピリピ1:19 では、「イエス・キリストの御霊」という言葉が出て来る。③以上の用例が示す神学的意味は、次のようなものである。イエスは神である。聖霊は、父と子から発する。イエスがパウロの伝道を導く主権者である。(3)どのようにしてかは記録されていないが、彼らは再び聖霊によって禁じられた。ちなみに、ビテニアでの伝道は、後にペテロが行うようになる。1 ペテロ1:1 にはこうある。「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、」。(4)第一次伝道旅行では、ほぼパウロが計画した通りに伝道が進められたが、第二次伝道旅行では、より厳密な聖霊の導きが与えられた。
いくつかの聖句を上げながら、三位一体の神の導きについて学んでみよう。(1)使徒16:6 にはこうある。「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った」。アジアでみことばを語ることを禁じたのは、聖霊である。(2)使徒16:7 にはこうある。「こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」。ビテニアの方に行くことを禁じたのは、イエスの御霊である。(3)使徒16:10 にはこうある。「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」。一行は、神が自分たちを導いておられると確信した。
以上の3 つの例から、三位一体の神がパウロの伝道を導かれたことが分かる。私たちも、神の導きを強く感じながら福音を伝えることができるようにと祈ろう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか、あなたの導きと助けによって、福音を語らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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歴代誌 第二9~10、ヨハネの黙示録13
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