1 それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、
2 ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
3 パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。
「パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである」。 (1)パウロは、テモテを助手として連れて行こうとした。問題は、彼が割礼を受けていなかったことである。ギリシア人の父が、割礼を忌避したのであろう。ギリシア人にとって割礼は、肉体を傷つける行為に過ぎない。(2)テモテが無割礼のユダヤ人であることは、ユダヤ人の間ではよく知られていた。そこでパウロは、テモテに割礼を受けさせた。「先ずユダヤ人に、次に異邦人に」という伝道の原則を維持するために必要な措置であった。(3)これは、ユダヤ人として生きることを選択するという行為で、テモテにとっては大きな決断であったが、割礼を受けたことで、福音を伝える際に、ユダヤ人たちにつまずきを与えることは回避された。
(1)テモテに割礼を施したのは、実際的な理由からだけではない。そこには、神学的理由がある。①新しい契約によって、ユダヤ人が律法を守ることは、強制的な命令ではなくなった。②ただし、ライフスタイルとしてユダヤ人が律法を守ることは自由である。(2)割礼は、アブラハム契約のしるしである。①それは、モーセの律法が与えられる400 年も前に決まったことである。②モーセの律法も割礼を命じたが、その命令は、新しい契約によって無効になった。(3)神がアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約(アブラハム契約)は、今も有効である。①ユダヤ人信者が割礼を受けるのは、アブラハム契約がそう命じているからである(割礼は、アブラハム契約のしるしである)。②ユダヤ性の「しるし」は、モーセの律法ではなく、割礼である。(4)ユダヤ人であるかどうかは、どのようにして判断するのか。①聖書では、父親がユダヤ人であれば子もユダヤ人である。②ユダヤ教では、母親がユダヤ人であれば子もユダヤ人である。③テモテの場合は、異邦人になるかユダヤ人になるか、自分で選ぶことになる。④ラビであるパウロは、テモテをユダヤ人として認識したのである。
パウロは、割礼が救いの条件であるという教えには激しく反対した。しかし、ユダヤ性の「しるし」としての割礼には賛成した。妥協したのではなく、正しい神学的理解に基づいて行動したのである。日々のデボーションを通して、みことばを正しく適用することを学ぼう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。正しい神学的理解は、正しい適用を生みます。どうか、御霊によって、真理へと導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
歴代誌 第二3~4、詩篇137~138
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