1 それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、
2 ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
3 パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。
「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」。パウロとシラスは、ガラテヤ地方を訪問した。ここは、第一次伝道旅行で、パウロとバルナバが教会を設立した地方である。二人は、先ずデルベ、次にルステラを訪問した。ルステラに、テモテという弟子がいた。彼の特徴を列挙してみよう。
①テモテは、ギリシア語で「ティモセオス(神に賞賛された)」という意味である。
② 母はユダヤ人信者(イエスを救い主と信じるユダヤ人)、父はギリシア人であった。
③ テモテは、ルステラとイコニオムの諸教会で評判の良い人であった。
④ 彼は、祖母ロイスと母ユニケより信仰を受け継いだ(2 テモ1:5)。また、幼い時から聖書教育を受けていた(2 テモ3:15)。
⑤ 彼は、パウロによって救いに導かれたと思われる(第一次伝道旅行の際に)。
⑥ 第二次伝道旅行でパウロに出会った当時のテモテは、20 歳前後であったと思われる。
⑦ この出会いにより、テモテは第二次伝道旅行に助手として参加し、その後も大いに用いられるようになる。パウロが宣教地を去った後も、そこに留まり働きを続けるケースが出て来る(使17:14、1 テサ3:2、6)。また、パウロの代理人として諸教会に派遣されるケースも出て来る(1 コリ4:17、16:10)。
⑧ パウロ書簡の6 つにおいて、テモテは共同執筆者としてその名を連ねている(2コリ、ピリピ、コロサイ、1 テサ、2 テサ、ピレモン)。
⑨ 「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」(1 テモ4:12)とパウロは書いているが、その当時のテモテは、30 代後半から40 代前半になっていたと思われる。
⑩ パウロの殉教後も、テモテはエペソ教会の初代監督として奉仕した。その後彼は、ドミティアヌス帝の迫害の時に殉教したと伝えられている。
パウロはこのテモテを助手として連れて行きたかったが、彼が無割礼であったことが実践的な意味で問題となった。この問題に、パウロは知恵をもって対処することになる(その内容は次回学ぶ)。私たちも、直面している課題が聖書の真理と直結したものなのか、現実的対応が可能なものなのか、識別する力が必要である。神からの知恵を求めよう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。直面する課題がどのようなものか識別する力と知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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歴代誌 第二1~2、ヨハネの黙示録11
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