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創世記24:10 ~ 14

10 しもべは主人のらくだの中から十頭のらくだを取り、そして出かけた。また主人のあらゆる貴重な品々を持って行った。彼は立ってアラム・ナハライムのナホルの町へ行った。

11 彼は夕暮れ時、女たちが水をみに出て来るころ、町の外の井戸のところに、らくだを伏させた。

12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みをほどこしてください。

13 ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。

14 私が娘に『どうかあなたの水がめをかたむけて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」

しもべの旅と祈り

しもべの旅

しもべは、10 頭のらくだを取って旅立った。これは、キャラバンを組んでの旅である。らくだの背には、主人のあらゆる貴重な品々が積まれていた。これは、花嫁料として娘の父に支払うものである(父が死んでいる場合は、兄に支払う)。花嫁料は、これまでの養育に対するお礼として支払うものである。ちなみに、おくり物と10 という数字には深い関係があるようだ。この箇所以外に、次のような箇所がある。(1)ヤコブの贈り物(創32:15):「乳らくだ三十頭とその子、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭」。(2)ヤロブアムの贈り物(1 列14:3):「パン十個と菓子数個、それに、みつのびん」。ナアマンの贈り物(2 列5:5):「銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着」。
旅の目的地は、アラム・ナハライムである。これは、「2 つの川のアラム(シリア)」という意味である。ナホルの町とは、ハラン(創12:4)のことである。この旅は、距離にすると450 マイル(720 キロ)ほどのものである(新幹線で、ほぼ東京から岡山までの距離)。決して短い距離ではない。片道20 日前後かかったはずである。

しもべの祈り

長旅を終えたしもべは、見知らぬ地にあって知恵を働かせた。「彼は夕暮れ時、女たちが水を汲みに出て来るころ、町の外の井戸のところに、らくだを伏させた」。彼は、井戸のそばに座っていれば、水汲みに出て来る女たちに出会えると思ったのだ。今でも、中東のアラブ人村では、夕暮れに女が水を汲みに来る習慣がある。
しもべは、神がこの旅の全行程を支配しておられることを確信し、井戸のそばで祈った。(1)彼は、自分のためではなく、主人アブラハムの祝福を願って祈った。(2)彼は、しるしを求めて祈った。「水を求めた時に、自発的に10 頭のらくだにも水を飲ませてくれる娘」というのが、その「しるし」である。そのような娘は、勤勉で愛と恵みに満ちている。その娘がイサクの嫁になるのである。(3)15 節を見ると、「こうして彼がまだ言い終わらないうちに」、1 人の娘(リベカという名)が現れた。しもべの祈りは、直ちに聞かれたのである。
忠実なしもべに対する神からの報酬ほうしゅうは、「素早く聞かれた祈りの答え」である。いま、自らの祈りの内容を吟味してみようではないか。アブラハムのしもべは、主人の祝福だけを求めて祈った。私たちの祈りのゴールは、キリストの御名があがめられることである。

きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか私を忠実なしもべとして用いてください。「すばやく聞かれた祈りの答え」という祝福を、私にも与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記7~8、マタイの福音書6