13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。
この旅行の訪問地は、次のようになっている。①アンテオケ(使13:1 ~ 3)、②セルキヤ(使13:4)、③キプロス島のサラミス(使13:5)、④キプロス島のパポス(使13:6 ~ 12)、⑤パンフリヤのペルガ(使13:13)、⑥ピシデヤのアンテオケ(使13:14 ~ 52)。今回は、ペルガでの出来事について学ぼう。
「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った」。(1)キプロス島での成功によって励まされたパウロとバルナバは、次に小アジアに渡って行く。パポスから小アジアのペルガまでは、約290 キロの船旅である。「パウロの一行は」となっているので、この時点でリーダーシップがバルナバからパウロに移行したことが分かる。バルナバは、あくまでも謙遜な人である。(2)ペルガでヨハネ(マルコ)が離脱し、エルサレムに帰った。そのため、ペルガで伝道したという記録が残されていない。(3)ヨハネ(マルコ)が離脱した理由に関して、ルカは何も記していないが、いくつかの理由を想像することはできる。①リーダーシップがバルナバからパウロに移行したので、反発を覚えた。②当初はキプロス島だけの予定で付いて来たが、小アジアにまで宣教地が拡大したので、途中で諦めた。③小アジアの山岳地帯を旅行することに対する恐れがあった。④これまでの伝道活動によって、すでに肉体的疲労を覚えていたので、先に進むことを躊躇した。⑤異邦人伝道が過度に強調され始めたため、反発を覚えた。
マルコはいなくなったが、パウロとバルナバは、そのまま先に進んだ。第一次伝道旅行の結果を見てみると、伝道旅行を継続するという判断が正しかったことが分かる。私たちの人生においても、日々の出来事の軽重を正しく判断するのは極めて重要なことである。好ましくない出来事が起こった時、そのことのゆえに計画を変更すべきかどうか、慎重に判断する必要がある。自分にとっての「ヨハネ(マルコ)の離脱」とは何のことか黙想し、主からの導きをいただこう。すべてのことを祝福に変えることのできるお方に信頼を置こうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。人生において好ましくないことが起きた時にも、あなたの導きに従って進むことができるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エステル記1~2、ヤコブの手紙5
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