5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
2 人は、セルキヤから船に乗り、キプロス島のサラミスに向かった。(1)セルキヤから約200 キロを航海すると、キプロス島の東海岸の町サラミスに着く。(2)キプロス島は地中海で3 番目に大きな島で、その広さは、縦225 キロ、横約65キロある。ギリシア、小アジア、中東の中央に位置するこの島は、当時重要な貿易基地として機能していた。(3)サラミスは、キプロス島で最大の都市であり、経済活動の中心地でもあった。
「・・・ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた」。(1)2 人は、ユダヤ人の諸会堂で福音を語り始めた。ユダヤ人の成人男子が10 人以上いる所には、必ず会堂が存在していた。サラミスのユダヤ人共同体は大きかったので、複数の会堂が存在していた。(2)会堂の役割は、神殿のそれとは異なる。会堂は、異邦人社会の中でユダヤ人が生き延びるために不可欠な組織である。そこは、神のことばとユダヤ人の習慣を学ぶ学校であり、コミュニティセンターでもあった。(3)実は、異邦人もそこから祝福を受けていたのである。ユダヤ人の神を礼拝する異邦人には、3 つの段階があった。①神を恐れる異邦人、②門の改宗者、③改宗者。
「彼らはヨハネを助手として連れていた」。(1)ヨハネの名は、使徒12:25 に出ていた。「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た」。(2)ヨハネ・マルコは、エルサレムからアンテオケに移住していた。彼は、バルナバのいとこである(コロ4:10)。恐らく、バルナバに誘われて、この伝道旅行に参加していたのであろう(助手や書記としての役割)。
サラミスでの宣教の結果について、ルカは記録を残していない。成果はあったが、特筆すべきものではなかったのであろう。バルナバとサウロは、サラミスでの使命は終わったと確信したようで、次に島全体を巡回して、パポスまで行った。
パウロが採用した伝道の原則は、「先ずユダヤ人に、それから異邦人に」であった。この原則は、これ以降のパウロの伝道パターンとなる。その背後には、3 つの理由がある。①実際的理由、②神学的理由、③心情的理由。次回、この3 つの理由について詳細に学ぶことにする。
会堂の存在は、伝道のインフラストラクチャー(基盤)となった。これもまた、神の摂理による準備である。私たちの神は、伝道のための基盤をすでに備えていてくださる。
きょうの祈り
全知全能なる神よ。あなたは伝道のための基盤をすでに備えてくださっています。どうか、私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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