44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
46 彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
47 「 この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
48 そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった」。(1)ペテロのメッセージはまだ終わっていなかった。彼は、イエスの死と復活を語ったので、次のテーマは再臨である。しかし、そのテーマに入る前に、聖霊が異邦人の聴衆の上にお下りになった。(2)彼らは、イエスが救い主であると信じて救われたのである。聖霊が下ったのは、彼らが救われたからである。彼らは、祈る前に、罪を告白する前に、洗礼を受ける前に、信仰だけで救われた。
「割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである」。(1)ペテロに同行して来た6 人のユダヤ人信者は驚いた。(2)訳文を比較してみよう。①「異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた」(新改訳)。②(新改訳2017)、(新共同訳)、(口語訳)の訳もすべて「聖霊の賜物」という用語を採用している。③(回復訳)は、「【聖霊】が賜物として異邦人の上にも注がれたのを見て驚いた」と訳している。(3)「聖霊の賜物が注がれた」とは、「聖霊が賜物として注がれる」という意味である。「聖霊の賜物」と「御霊の賜物」(霊的な賜物)を混同してはならない。前者は、聖霊ご自身が賜物である。後者は、教会に与えられている種々の霊的な賜物のことである(異言は、その一つである)。(4)ユダヤ人信者が驚いた理由は、異邦人に聖霊が賜物として注がれたからである。彼らに聖霊が注がれたことは、異言によって知ることができた。つまり、異邦人もユダヤ人と同じ原則で救われたので、ユダヤ人信者は驚いたのである。
聖書が教える救いの方法は、「恵みにより、信仰によって」である。これ以外の条件を付加することは、輝かしい福音を異質なものにすることである。人前での信仰の告白、洗礼、行いなどは、救いの条件ではない。このことを覚え、純粋な福音を宣べ伝えよう。信じた人の心には、聖霊が宿ってくださる。聖霊の働きによって、私たちは聖化されて行くのである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私にも聖霊が賜物として注がれています。どうか、その聖霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ゼカリヤ9~10、テモテへの手紙 第二2
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