29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。
30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。
31 すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
ピリポには、天使による導きが与えられた。天使(主の使い)がピリポに向かってこう言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」。彼が立って出かけてみると、同じ方向に向かって旅をするエチオピア人の高官が見えた。この高官は、エチオピア人の女王カンダケの財産全部を管理する宦官であった(ユダヤ教への改宗者か、門の改宗者か、そのいずれかである)。
次に、ピリポに聖霊による導きが与えられた。「御霊がピリポに『近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい』と言われた」。この聖句から、聖霊は単なる影響力ではなく、人格を持ったお方であることが分かる。人格を持った聖霊が、「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」とピリポに語ったのである。伝道の主体は聖霊であり、ピリポはそのために用いられる器である。
「そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、『あなたは、読んでいることが、わかりますか』と言った」。(1)ピリポは、聖霊の語りかけに直ちに従った。走り寄るピリポの内に、従順なキリストのしもべの姿を見ることができる。(2)馬車に近づくと、イザヤ書53 章を大声で読んでいるのが聞こえた。これは、ヘブル語聖書のギリシア語訳である(ピリポは、ヘレニストのユダヤ人である)。当時は、読むと言えば、声に出して朗読することである。(3)そこでピリポは、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と尋ねた。「わかる」はギリシア語で「ギノウスコウ」、「読む」はギリシア語で「アナギノウスコウ」である。原文では、ピリポの語りかけは非常に丁寧なものになっている。
「すると、その人は、『導く人がなければ、どうしてわかりましょう』と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ」。これこそ、真の求道者の言葉である。エチオピア人の高官は、自分が助けを必要としていることを認めている。彼には、人種的偏見は一切ない。そして彼は、謙遜になって助けを求めている。
天使の導きは、奉仕の大枠を示すものであった(「ガザに下る道に出なさい」という命令)が、聖霊の導きは、より具体的な行動を促すものであった(「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」という命令)。次に学ぶのは、みことばによる導きである。神は、私たちを徐々に、しかし確実に、導いておられる。神に導かれた人生を歩む人は、幸いである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたは求める者に答えてくださるお方です。きょうも御霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エゼキエル書42~43、ピリピ人への手紙3
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