33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
34 ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
35 わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』
36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。
「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです」。(1)イエスは、神の右に上げられた。「神の右」とは、権威ある座であることを当時のユダヤ人たちは理解していた。①イエス自身が、この言葉をご自分に適用された(マコ14:61 ~ 62)。②ステパノのメッセージ(使7:55 ~ 56)、パウロの教え(ロマ8:34)、ヘブル人への手紙(ヘブ10:12 ~ 13)、ペテロ書簡(1 ペテ3:22)などにもこの言葉が出て来る。(2)昇天したイエスは、聖霊を注いでくださった。これは、御父から約束された聖霊である。今人々は、聖霊が下った証拠を目撃している。
「ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい』」(1)これは、詩篇110:1 からの引用で、新約聖書で最も多く引用されているメシア的預言である(マタ22:42 ~ 45、マコ12:36、ルカ20:42 ~ 43、1 コリ15:25、エペ1:22、ヘブ1:13)。ユダヤ教の伝統の中では、詩篇110 はメシア的詩篇として解釈されて来た。ペテロの論点は、詩篇110:1 はイエスの昇天によって成就したということである。(2)この聖句の日本語訳は次のようになっている。「【主】は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ』」。①「私」とは作者のダビデ、②「【主】」とはヤハウェ、③「私の主」(アドナイ)とは、ナザレのイエスのことである。イエスは、父なる神の右の座に着かれたのである。(3)詩篇110:1 は、パリサイ人たちにとって不可解な聖句であった。彼らは、この聖句に関するイエスの質問に、明確に答えることが出来なかった(マタ22:42 ~ 46 参照)。(4)パリサイ人たちが答えられなかった質問に、ペテロが答えている。「・・・すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです」。復活と昇天によって、イエスが「主でありキリスト」であることが明らかになった。このイエスを十字架につけた罪は重い。
ペテロは、ユダヤ人たちの罪を厳しく糾弾したが、それは彼らを救いに導くためであった。私たちも、聖霊に罪を責められる時、悔い改めることを先延ばしにしてはならない。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私にも聖霊が注がれていることを感謝します。聖霊に罪を責められる時、速やかに悔い改められるよう助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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