1五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」。ここでは、「聖霊に満たされ」としか書かれていないが、「聖霊によるバプテスマ」も同時進行で起こっている。この2つは、ともに聖霊の働きの個別の分野である。
(1)「聖霊によるバプテスマ」(あるいは聖霊のバプテスマ)とは、キリストと一体化し、またキリストの教会と一体化することである。これは、繰り返すことのない一度限りの出来事である。キリストを信じた瞬間、すべての信者は「聖霊によるバプテスマ」を体験する(1コリ12:13参照)。「一つの御霊を飲む者とされた」とは、聖霊の内住のことである。(2)「聖霊の満たし」とは、聖霊が信者の心を支配し、導くことである。「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」(エペ5:18)。「聖霊の満たし」によって、信者は伝道の力や聖化の力を受ける。「聖霊の満たし」は、聖書を学び、神の御心に従順になることによって得られる恵みである。またそれは、繰り返し求めるべきものである。
異言を伴う聖霊のバプテスマは、何回起こったのか。(1)1回だと考える人がいる。彼らは、ペンテコステの日に教会が誕生して以降、信じた瞬間にすべての人が自動的にその恵みに与ると主張する。(2)4回と考える人がいる。①ユダヤ人の救い(2章)、②サマリヤ人の救い(8章)、③異邦人の救い(10章)、④バプテスマのヨハネの弟子たちの救い(19章)。(3)今でも、信じた全ての人に同じことが起こると考える人がいる。その人たちは、これを救いの体験とは別の「第2の恵み」の体験であるとする。以上の3つの中で、正解は(2)である。ルカは、歴史上起こったことを記録しているだけである。異言を伴う聖霊のバプテスマを、普遍的真理として現代の私たちに適用すべきではない。
12使徒たちは、普段使っている言語(アラム語、ヘブル語、ギリシア語)で他のユダヤ人たちと対話することが出来たはずだが、神は、巡礼に来ていたユダヤ人たちの歓心を買うために、使徒たちに異言を語らせた。異言は、「神が語っておられるので、それに耳を傾けよ」という「しるし」となったのである。
いま私たちが求めるべきは、「聖霊のバプテスマ」ではなく、「聖霊の満たし」である。みことばを通して語られる聖霊の支配に自らを委ねようではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。きょうも、あなたのみことばに従順に歩んでいきます。どうか、聖霊によって満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
イザヤ書18~19、ローマ人への手紙9
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