1五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った」
(1)「彼らのいた家」とは、どこか。彼らは依然として屋上の間(二階部屋)にいたと考える人がいる。その場合、屋上の間から神殿域への移動をどうしたかという疑問が湧いて来る。ルカは、その点について何も記していない。ところが、使徒2:5では、彼らはすでに神殿域にいるのである。そう考えると、彼らが屋上の間にいたとは思えない。彼らは祭りを祝うためにすでに神殿域にいたと考えるのが正解であろう。時間は、すでに午前9時になっている。祭りを祝う人々がすでに神殿にいる時間帯である。(2)ここでの「家」とは、神殿のことである。ステパノの説教では、「家」は神殿を意味している。「けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした」(使7:47)。(3)彼らがいた場所は、神殿域のソロモンの回廊であろう。主イエスは、この場所を好んで用いられた。「時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた」(ヨハ10:23)。使徒たちもソロモンの廊を好んだ。「・・・非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た」(使3:11)。「・・・みなは一つ心になってソロモンの廊にいた」(使5:12)。
「他国のことば」で話し出したのは、誰か。(1)伝統的な解釈では、信者120人全員である。この解釈も可能ではあるが、文脈上の問題がある。(2)「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた」(新改訳)の「みな」とは誰のことか。120人全員なのか、12使徒だけなのか。ルカが書いた文章には、章や節の区切りはなかった。つまり、使徒1:26と使徒2:1は繋がっているのである。そう考えると、「みな」とは文脈上12使徒を指していることが分かる。(3)使徒2:7を見てみよう。「彼らは驚き怪しんで言った。『どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか』」。「他国のことば」で話したのはみなガリラヤの人であった。これは、12使徒のことである。彼らは全員がガリラヤ出身であった。
使徒たちが習ったことのないことばで話したのは、聖霊が降臨したしるしであった。これ以降、聖霊は信じる者に力を与え、その心に住まわれるようになった。私たちもその祝福に与っている。日々、内住の聖霊の声に耳を傾けよう。
きょうの祈り
天の父よ。御霊による祝福が与えられていることを感謝します。どうか、きょうも内住の聖霊によって導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
イザヤ書14~15、詩篇49~50
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