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創世記22:1~2

1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

信仰のテスト

神からの試練

ここから数回に分けて、イサク奉献ほうけんの出来事について学ぶ。この出来事は、アブラハムの生涯のクライマックスに当たるものである。(1)「これらの出来事の後」とある。つまり、イサク誕生、イシュマエルの追放、アビメレクとの契約(21 章)の後の出来事だというのである。ここには、30 年以上の時間の経過がある。(2)ここで、アブラハムの生涯での最大の出来事が起こる。「神はアブラハムを試練に会わせられた」(新改訳)。「神はアブラハムを試された」(新共同訳)。「神はアブラハムを試みて」(口語訳)。ここでの試練とは、信仰のテストのことである。それは、アブラハムが本当に神の約束と愛を信頼するかどうかのテストである。(3)神が「アブラハムよ」と呼びかけると、アブラハムは、「はい、ここにおります」と答えている。「はい、ここにおります」とはヘブル語で「ヒネイニ」であるが、これは、強調された言葉である。この章(22 章)では、アブラハムは神に対してこの言葉しか語っていない(もう1 カ所は、22:11)。彼は数々の失敗を犯してきたが、ここでは神のことばに全身全霊で応答している。

神からの命令

「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」。(1)「ひとり子」とは、誕生の順番とは関係のない言葉である。それは、質的にかけがえがないことを意味している。イサクは約束の子であり、アブラハム契約の継承者である。そういう意味で、彼は「ひとり子」なのである。(2)行き先は、「モリヤの地」である。そこは、先になってソロモンが神殿を建設する場所であり(2 歴3:1)、後にシオンの山と呼ばれる場所でもある(現在の神殿の丘)。(3)そこに着いたなら、イサクを全焼のいけにえとしてささげなければならない。テストの内容は、アブラハムは、その子を通してアブラハム契約が成就する「ひとり子」を殺す(ささげる)だろうかというものである。ちなみに、人身供養が禁じられるのは、モーセの律法以降のことである(レビ18:21、20:1 ~5、申18:10)。
私たちの人生にも、神を信頼するかどうかのクライマックス的事件が起こる。その時、私たちがどのような対応をするかを、神は見ておられる。アブラハムが持っていた信仰を発揮はっきする用意ができているかどうか、自己吟味をしようではないか。

きょうの祈り

アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか私に、アブラハムの信仰をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

レビ記8 ~ 9、ヨハネの福音書19

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