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マルコの福音書11:8~11

8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。

9 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。

10 祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」

11 こうして、イエスはエルサレムに着き、宮に入られた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。

エルサレム入城

イエスを歓迎する群衆

当時イエスは、ユダヤ人の指導者たちにとって要注意人物になっていました(ヨハネ1157)。しかしイエスは、ひるむことなくエルサレムに入城して行かれました。自分の時が迫っていることを知っていたからです。(1)前回見たように、イエスはろばの子に乗ることによって自らがメシアであることを表明されました。(2)群集もまた、イエスをメシアとして歓迎しました。上着を道に敷いたり、木の枝を切ってきて道に敷いたりするのは、メシアを迎える行為です。また彼らは、ハレルヤ詩篇(113~118篇)のクライマックスに当たる詩篇118:2526を唱えています。この詩篇は、メシアを迎える時に歌う詩篇です。イエスはエルサレムに着き、神殿の中を見て回った後、12弟子といっしょにベタニヤ村に引き返し、その夜はそこにとどまります。

イエスを誤解する群衆

このように熱狂的にイエスを迎えた群衆でしたが、1週間後にはイエスを十字架につけよと叫ぶようになります。なぜなのでしょうか。原因は、群集がイエスを政治的メシアと考えたところにあります。(1)群集が敷いた木の枝は、「しゅろの木の枝」でした。しゅろの枝を振るのは、仮庵かりいおの祭りの習慣です。過越の祭りにはそのような習慣はありません。また、「ホサナ(今私たちを救ってください)」という叫びも、仮庵の祭りの時の祈りです。(2)ゼカリヤ書141621の預言によると、メシア的王国(千年王国)では、仮庵の祭りが祝われることになっています。群集は、イエスの入城によって直ちにメシア的王国が実現すると思い込んだようです。しかし、それは誤解です。まず過越の祭り(十字架の贖い)が来なければ、仮庵の祭り(千年王国)が来ることはありません。
弟子たちからも、ユダヤ人の指導者たちからも、また群集からも理解されることのなかったイエスは、ただ一人で十字架の道を歩み続けました。私たちはどうでしょうか。あの群集や弟子たちのように、自分の考えをイエスに押しつけようとしてはいないでしょうか。主イエスとともに、カルバリの丘へと行進するような人生を送ろうではありませんか。

きょうの祈り

天の父よ。すでに過越の小羊はほふられました。預言的には、やがて地上に仮庵の祭りが成就するようになります。きょうも、キリストにある希望を告白しながら歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二15~16、ヨハネの黙示録15

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