22 神はアブラハムと語り終えられると、彼から離れて上られた。
23 そこでアブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取った者、アブラハムの家の人々のうちのすべての男子を集め、神が彼にお告げになったとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
25 その子イシュマエルが包皮の肉を切り捨てられたときは、十三歳であった。
26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
27 彼の家の男たち、すなわち、家で生まれた奴隷、外国人から金で買い取った者もみな、彼といっしょに割礼を受けた。
神の姿が見えなくなると、アブラハムはすぐに割礼を実行した。(1)割礼のタイミング:アブラハムは、その日のうちに、割礼を実行した。(2)割礼の範囲:アブラハムの家のすべての男子が、割礼を受けた。その中には、イシュマエル、家で生まれたしもべ、金で買い取ったしもべなどがいた。(3)割礼の内容:神が命じられたとおりに、包皮の肉が切り捨てられた。(4)割礼の動機:アブラハム契約の祝福に応答し、契約の「しるし」を自分の肉体に残すためであった。
この日以来、割礼は神との契約を確認するしるしとなった。ちなみに、新約聖書の中で割礼を受けたことが明確に書かれているのは、バプテスマのヨハネ、主イエス、使徒パウロ、その弟子テモテの4 人である。
主イエスの十字架によって新しい契約に入れられた私たちにとって、割礼はどのような意味を持っているのか。(1)ユダヤ人にとっては、今も割礼はアブラハム契約の「しるし」として有効である。この契約が、永遠の契約だからである。この点では、メシアニックジューも例外ではない。彼らもまた他のユダヤ人と同じように割礼を実行しているが、それは救われるためではなく、アブラハム契約の「しるし」を身に帯びるためである。(2)しかし、肉の割礼は救いの条件でも、霊的であることの保証でもない(1 コリ7:19、ガラ5:6)。(3)アブラハムは、割礼を受けたから義とされたのではない。彼は信仰によって義とされた(創15:6)。そして、義とされたことのしるしとして、割礼を受けたのである(ロマ4:9 ~12)。(4)異邦人クリスチャンは、割礼を受ける必要はない。このことは、使徒15 章のエルサレム会議で確認された。使徒パウロは、テトスの割礼には反対したが、テモテには割礼を受けさせた。その理由は、テトスは異邦人だったが、テモテはユダヤ人の母の子だったからである。(5)私たちにとって大切なのは、肉の割礼ではなく心の割礼である。
イエスと同時代のユダヤ人の中には、割礼を誇りとする者(アブラハムの子孫であることを誇る者)が、たくさんいた。その誇りが彼らを霊的に盲目にし、イエスがメシアであることを見させなくした。私たちの場合も、人間的な誇りがあると、霊的な真理が見えなくなる。私たちの誇りはただひとつである。「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません」(ガラ6:14)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。肉の割礼(誇り)ではなく、心の割礼を求めます。心砕かれた者として、きょうも御前を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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