20 それで、【主】の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は仰せられた。「この民は、わたしが彼らの先祖たちに命じたわたしの契約を破り、わたしの声に聞き従わなかったから、
21 わたしもまた、ヨシュアが死んだとき残していた国民を、彼らの前から一つも追い払わない。
22 彼らの先祖たちが【主】の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」
23 こうして、【主】はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。
3章
1 カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、【主】が残しておかれた国民は次のとおり。
2 ──これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである──
3 すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。
4 これは、【主】がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。
5 イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、
6 彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。
イスラエルの民は、無条件にカナンの地を相続したのではありません。その地の相続には、モーセの律法に従って生きるという責務が伴っていました。もし律法に忠実に生きるなら、彼らはその地にあって繁栄を経験することができました。しかし、もし律法から外れるなら、苦境に陥ることになります。これが、カナンの地とイスラエルの民の関係です。
ここまで士師記を読んで明らかになったことは、イスラエルの民はカナンの先住民を完全に征服したわけではないということです。不信仰を初めとするさまざまな理由で、彼らは周囲の敵を放置したままにしておきました。
それは同時に、主がそのように定めたのだとも言えるものです。(1)周辺の異民族は、イスラエルの不従順を裁くための器となりました。(2)また彼らは、イスラエルの民が主に聞き従うかどうかを試みる手段ともなりました。もし民が主に聞き従わなければ、周辺の民族がイスラエルを圧迫するようになります。(3)この状況は、イスラエルに戦いを教えるために、主が用意したものです。ヨシュアの世代、そして次の世代の者たちは、戦争とはいかなるものであるかを知っていました。しかし、第三世代の者たちには、戦争の経験がありませんでした。そこで、彼らにその機会が与えられたのです。戦争の経験は、イスラエルの統治形態が次の王制に移行するために、どうしても必要なものでした。
カナンの先住民の問題は、イスラエル人の不信仰から出たものです。しかし主は、それさえもご自身の計画が成就するためにお用いになりました。まさに、主の配剤の見事さに感嘆するばかりです。私たちも、目先の現象によって一喜一憂する必要はありません。主はすべてを支配しておられるお方です。私たちもパウロといっしょに、こう叫ぼうではありませんか。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう」(ローマ11:33)。
きょうの祈り
創造主よ。すべてはあなたの御手の中にあります。どうかあなたのご計画と御恵みの素晴らしさに感動する人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書42~43、コリント人への手紙 第二8
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