1 さて、ヨシュアの死後、イスラエル人は【主】に伺って言った。「だれが私たちのために最初に上って行って、カナン人と戦わなければならないでしょうか。」
2 すると、【主】は仰せられた。「ユダが上って行かなければならない。見よ。わたしは、その地を彼の手に渡した。」
3 そこで、ユダは自分の兄弟シメオンに言った。「私に割り当てられた地に私といっしょに上ってください。カナン人と戦うのです。私も、あなたに割り当てられた地にあなたといっしょに行きます。」そこでシメオンは彼といっしょに行った。
4 ユダが上って行ったとき、【主】はカナン人とペリジ人を彼らの手に渡されたので、彼らはベゼクで一万人を打った。
ヨシュア記は、モーセが死んで主のことばがイスラエルの民に下るところから始まっていました。士師記もまた、それと似たような始まり方をしています。ヨシュアが死んで指導者がいなくなったイスラエル人たちは、主の導きを求めました。(1)イスラエルの民がカナンの地を完全に征服する前に、ヨシュアは亡くなりました。(2)これ以降は、各部族が自分に割り当てられた地域内で、先住民を追放する戦いを展開せねばなりません。この戦いは、イスラエルの民にとっては定住の土地を獲得するための戦いであり、先住民にとっては主の裁きを受ける戦いでした。(3)ヨシュアのあとを継ぐ確固とした指導者がいなかったため、イスラエル人は「だれが最初に上って行って、カナン人と戦わねばならないでしょうか」と主にお伺いを立てています。士師記を貫くテーマは、指導者のいないことの悲劇です。(4)主の命令は、「ユダが上って行かなければならない」でした。族長のヤコブは、12部族の中におけるユダ族の優位性について預言していました(創世記49:8~12)。ここには、その預言の部分的成就が見られます。
あなたは、指導者と仰いでいた人がいなくなり、その人が担いでいた責任がすべて自分の肩にかかってきた時、どのように振る舞いますか。そのような時こそ、信仰が問われます。ユダ族がどのようにしたか、見てみましょう。(1)彼らはシメオン族と「友情契約」を結び、軍事的協力の約束を取りつけています。ユダとシメオンとは同母兄弟(レアの息子たち)でした。また、シメオン族はユダ族の領地の中に、飛び石的に町々を得ていました。(2)彼らは主のことばに従って出て行き、カナン人とペリジ人を1万人も打ち、戦いに勝利しました。(3)しかし、彼らに勝利を与えたのは、主ご自身でした。ここに、人間の側の責任と、神の働きのバランスがあります。
指導者亡き後も、主の計画は進んでいきます。先の指導者と自分たちの能力差を嘆くのではなく、持てるものを総動員し、共同戦線を張って主の働きにまい進すべきです。その時、主ご自身が豊かに働いてくださいます。信じましょう。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。どうか与えられた使命を全うできますように、私を力づけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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